口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

ブログを消耗とは考えない。

 

のブログのモチベにはひねくれたところがあり、平日、皆それぞれ学業や生業でヘロヘロになったあと、いざブログ記事を書こうとしても、生きるのが辛いとか、上司が苦手とか、なんか太ってきたとか、金がないとか、せいぜいそういうのを書くのが関の山のところを、私はウィットと含蓄とユーモアその他混沌をうまい具合にミックス。飄々と仕上げてドーンと叩きつけてガハハっと笑う、みたいな、独尊的な精神性が持続性の核みたいなとこがあります。


ところが、最近そのモチベーションがダウン気味。どうやら世間はお盆休みに入ったそうで、他の人のブログを眺めると、旅行に行ったり海鮮丼を食ったり花火を観たりしている。楽しそうでなによりだ。私ですか。お盆休みなんてねーぞ。仕事帰り、薄暗くなってから家の墓に寄り、「遅くなりました〜」なんていって線香をあげてきました。それからなんか妙に肩が重い。先祖が嬉々としておぶさっているのでしょう。



ところで。ブログのモチベーションというと、自分の書いたブログ記事を大事にする人ほど、実はブログの継続が難しい、なんていう矛盾があるんじゃないかなぁと思ったりします。もちろん、文章に自分の力を託すのは大事なこと。それが文章を書く楽しみや意義につながり、色々と誘惑の多い生活の中であっても、文章を書く行為を自分で肯定し、維持することができる。ブログに限らず、始めたものが続くかどうかって、やはり自信が核なのでしょうね。

 

 

で、ブログ記事を書いていると、そのうち「これは自分の最高傑作じゃないか」と思えるものが出来上がったりします。まあ、それ自体はハッピーなことなんでしょうけど、実はその時点で、いずれ継続が断たれる人と、断たれない人の分かれ道が出来上がるようにも思います。継続の断たれる人は、自分の書いた傑作の影を追うようにして文章を書き続けていくタイプ。断たれない人は、執着しないで書き続けていくタイプでしょう。


前者の場合、ある目標値を超えることが文章を書く目的で、モチベーションの源泉です。後者は、クオリティそのものより、書くこと自体がモチベーションの源泉です。この両者には、そもそも文章というものの捉え方に根本的な違いがあります。目標値を超えることが文章を書くモチベーションの場合、それに達していない文章を書いた際に、「消耗した」と捉えやすくなります。つまり、「エネルギーを無駄にして微妙な文章を書いてしまった」と、解釈しやすくなってしまうわけです。だから、せっかく書いてもお蔵入りにしてしまったりとかする。


一方、書くこと自体を目的にしているなら、書いた分だけ自分の気力体力が消耗するとは捉えるだろうけど、「文章が消耗した」とは考えない。休んで、またキーボードを叩けば、なにかしら文章は出てくると考える。私もおそらくこのタイプです。だから、記事のリライトなどはあんまり乗り気にならない。そのうちまた巡り巡って、自分でも「お、いいんじゃね」と思うものが書けるだろうと、呑気に構えているところがあります。ただ、何をどうやっても、死んだら更新ができません。だから、死なないこと。生活をすること。これが、この世の全てのブログ継続の大前提でしょう。

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