口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

自分史は大事な備蓄。

 

な話ですが、今週末にまた旅行へ行きます。今回はバイク旅行です。海沿いを走りたい欲求を抑えられなかった。夏の雰囲気を残している今の時期を逃したら、きっと来年まで後悔するはず。行くなら今じゃ。どーんといけ。食事が美味いと評判の民宿も予約できました。ということで二泊三日で行ってきます。ふひひッ。


毎度のことながらブログの更新頻度が滞りますが、ご容赦を。というか、本来はこんな感じで、隙あらばこまめに旅行に行くのが私の生活スタイル。が、コロナのくそ野郎のおかげでそれができなくなって幾年月、ようやく元に戻りつつあります。いっそのこと旅行ブロガーへの転身もアリか、などと脳細胞の隅の方で企んでいたりしますが、めんどくさいので多分やりません御免。


話がまるで変わりますが、ブログって「自分史」を書く方がそれなりに多いですね。といっても、その書き方には色々あります。文章の最初から最後まで自分の過去に起きた内容に終始する人もいれば、文脈の途中で自分史を差し挟むようにして書く人もいる。自分史は誰でも書けるネタですし、私も困ったら、自分史を引き出してきてなんとかしようかなと画策します。


ただ、過去の出来事を題材にして文章を書いている人は、ある時点で引き出しが足りなくなってきますね。過去のトラウマっぽいことをずっと書いてる人がいたりすると、私はそういう文章が大好物なんで(失礼)しっかり読むんですが、ある時点で、本人が満足したのか、書くことが無くなったのかは分からないけど、更新が途絶えてしまう。そういうパターンをよく見てきました。

 
平泉の松尾芭蕉像。「ちょっと、2400円くらい貸してよ」みたいな表情


ブログは続けなければダメなわけではないし、本人が書いてスッキリできたのなら文句のつけようもないのですが、逆に、「できるだけブログ継続を頑張りたい。更新数もどんどん増やしたい」などと考えているのなら、自分の過去ばかりネタにするのは本末転倒でしょう。何十年と生きていても、すべてが自分史になるわけではなく、体感だとか感情を伴った出来事が記憶に残されたもの、それが自分史であり、少しずつ蓄積された有限の代物だと思うのです。


なので、自分史を引き出してきて文章を書く行為は、大切な備蓄をまたひとつ使う、私にはそういうイメージがあります。そういや、このブログでは詳細な自分史ってほとんど書いてません。なんせケチなもので笑。せいぜい、現状と過去を比較するとき、ちょっとだけ吐露するみたいな感じか。これならば、自分の過去を語るにしても、そうそうネタ切れするなんてことはないんですよね。


数年間ブログを書いてきて感じるのは、日常生活を前向きに送らなければブログが書けないとか、そういうことはあんま関係無いんですけど、とりあえず生きて、時間が進んでいることだけは大前提となるのかなと。そして、時間が前に進んだぶん、自分の過去を引き出してみても、進んだ時間と過去の時間が釣り合うからこそ、ブログの継続が可能なのだと思います。その進んだ時間もやがては自分史となって、いつか振り返るときが来るでしょう。


ああ、そういやここでブログを始める前から読んでるブログがあって、もう10年くらいずっと自分史を書いてる人がいるんですが、正直、私はほぼほぼ嘘だと思ってるんですよ笑。でも、そうやって無限にフィクションを思いついて書けるってのも、間違いなく才能だよなと。私も皆さんのブログを読むときは、真実と嘘の香りを楽しみながら読ませて頂いております笑

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私は小学生のころ、「真実はいつもひとつ!!」とか絶叫しながら老若男女見境なくカンチョーをかましていたケダモノである