ちらほらと聞くようになりましたが、ソバーキュリアスって知ってますか。かっこいい蕎麦焼酎の銘柄じゃないですよ。
簡単に説明すると、酒を飲める人が「あえて」酒を飲まないようにする、そういう習慣だそうです。色々とメリットはあるようで、シラフの時間が増えるから生産的なことが出来るとか、健康維持になるとか、金銭的に余裕が生まれるとか。まあ、当然っちゃ当然のことが上のサイトでもまとめてありますね。
このソバ―キュリアス、私は良いと思います。これまで、ちょっとでも酒が飲めれば、「お、イケる口だね」とかなんとかいって、その人が飲みたいかどうかも配慮せずに飲ませたりしていたわけでしょう、文化的に。まず心構えとして、酒が飲めるとしても、飲むかどうかは自分が決定権を持ち、他人には無い、という態度をはっきりさせるのに良いなと思うのです。
ただ、私自身は今しばらく無縁でしょうね。日常的に飲み続けることは間違いない。そのうち飲酒自体の肩身が狭くなって、「いまだに酒なんて飲んでるなんて哀しいね」なんて他人からとやかく言われるようになったら嫌だな~。そういう時代が来たとき、自分が酒を飲む本質的な理由を、なんとなくでも説明できるのは大事かもしれない。急にそう思ったので、そのあたりをちょっとまとめてみました。ま、一杯やりながらでも読み流してください笑
①そもそも「健康ならば多少リスクを負っていい」と考えている。
逆説的ですが、私は自分の「健康の証明」として酒を飲んでいるんだと思います。健康だからこそ、ちょっとこう、毒の沼に足を突っ込んでもいいかな、みたいな感じ笑。ただ、歴代の酒豪のごとく破滅的に飲んで、どんどん自分を壊していくとか、そういう意気込みはまるでありません。とりあえず自分が健康だと確信できる範疇にいるあいだは飲み続けるでしょうが、ちょっとでも違和感を感じたら、酒を控えるか、断つタイプだろうなと思います(確信はできないが)
酒を飲むことはちょっとした冒険で、道中にあるきれいな滝だとか花なんかを愛でてていられる程度ならいいんですけど、油断して崖から滑落するとか、藪からクマが出てくるとか、そういう事態は避けたいので、「あ、ここらへんで引き返そう」と勘づいたら引き返します。これは、普段酒を飲んでるときに、「このへんでやめとくか」と切り上げられるかどうかが命綱だと思ってます。
②自分の中で酒を飲むことが「伝統芸能化」している。
昔はシンプルに酔っぱらうために飲んでましたが、今は主に食事と合わせるために飲んでます。酒がほんのちょっと、お猪口に一杯くらい入ってるだけでも、食事が華やかになる感じがしますね。外で食べる時も、酒が添えてあるだけでだいぶ印象が違います。蕎麦屋なんかに行って、お銚子でも一本添えれば、ちゃんと揃うものが揃った印象がある。食事に酒が並ぶ状態を「完成形」と見なしているんでしょうね。
それに、お猪口に注いで飲むといった、酒にまつわる所作が好きです。酒をちびちびと飲みながら食事をする動作が、私の中で「伝統芸能化」している感じなんですね。煙草を持つ動作自体が「粋」だと感じる人がいるように、酒が入った容器、それこそ、お猪口でもワイングラスでもジョッキでもいいんですが、そういうのを手に取って酒と向かい合っていること自体、大いなる満足感を得ているわけです。だから、酒は金銭的な無駄、などと言われましても、指摘がズレているなと感じます。
と、だいたいまとめるとこんな感じですか。ていうか、こんな感じで形式的にまとめるのって割と珍しいことです。ちゃんとブログ書いてるみたいじゃん笑。
最近の研究で、アルコールの摂取は少量でも有害で、「良いところがひとつもない」みたいに証明されたらしいですね。今後、他人に酒を薦めるのは論外になりそう。とはいえ、人間ごときがそんなにクリアになってどうするつもりでしょうか。ひたすら健康でしかない人なんて、妙に寂しい。
80年代の酒が美味そうな感じは異常