口から出まかせ日記【表】

日本語で読めます

暇と余力はつながらない。

 

っかり朝晩寒くなり、特に朝は布団から出るのがつらい。なので、私が起きる時間の30分ぐらい前に、エアコンの暖房がつくよう設定しました。これなら余裕で起きられるかというと、むしろ、布団と暖房のダブルぬくぬくのまま天に召されていきたいなどという考えに至り、あんまりよくない。時間になったら強制的に布団を跳ねのけて同時に水をぶっかけるマシーンとかの方がいいかもしれない。ねぇ、ドラ○もん、出してよ。


話が変わりますが、私は今でこそ働いているものの、このブログを始めた当初は無職になった直後であり、ただプラプラしてると人間性が腐ってダメになると思ってブログを始めたところ、うまい具合にハマってそのままずるずると今に至ります。有り余る暇と、余力。それとモチベーションも噛み合って、ブログをガンガン更新していた慣性のようなものがまだ残っているからこそ、社会復帰した今もこうしてブログを書けているのだろうなと思うのです。

 

star-watch0705.hatenablog.com


じゃあ、ブログを書く余力は暇だったころと比べて落ちているのかというと、更新ペース自体は落ちているから、以前よりなくなっていると表現できるかもしれない。でも、仮にまた無職になり、自由人に返り咲いたとしても、かつてのようにブログを毎日投稿するようになるかといえば、たぶんないんじゃないかなと想像します。結局、余力をもってなにを為すのか、ここがそもそも変わっているはずなのです。余力の使い方が昔とはまず違う。

 

 

またちょっと話が変わるんですが、暇だからといって、じゃあ、あれをやったりこれをやったりする余力があるってことだよね、と、「暇=余力」で繋げることはおかしいと私は思っています。暇であっても余力があるとは限らない。さらにいえば、他人から指図されて何かをやる余力こそ、暇であっても持ち合わせていないことは普通にあるはずなのに、なぜかそう意識しない人もいるのですよね。そういう私だって、もしかしたら他の人に対してそう接しているのかもしれないから気をつけたい。


暇というのは、ただ暇であるというだけの話です。そこで何かに取り組むことを決めるのは、当然、その人に決定権があります。他の人から見て時間が有り余っているように見えて、勿体無いように思えても、そもそも時間は当人の持ち分であるわけで、そこで介入してくるのはおかしい話。まあ、ムズムズする気持ちも分かりますけど、その人に介入するのではなく、まずは自分の時間の使い方を見直す方がいいでしょうね。


暇な人を眺めて、「なんでもっと動かないんだろう」などと感じる気持ちは、自分にそんな暇な時間があればできたであろうことが、今できていないことが発端になっているのかもしれない。とはいえ、自由になるのは自分の時間だけ。それだって、色んな事情で脱落したり、切り刻まれているわけですが、それが現実です。大事なのは、小分けにされた時間の中で、何かをしたいと思う希望や、実際に手や足を動かす余力があるのか、それを自分に問うことでしょう。

 

youtu.be

余力あるときにPerfume の新作も聴いてます。