何度も冬を迎えているはずなのに、寒さに強くなるどころか年々弱くなっている気がします。これからますます弱くなったらどうしよう。40代でヒートテック4枚重ね、50代でヒートテック5枚重ね、と、年々ヒートテックが積層されていくとすれば、仮に120歳代になればなんとヒートテック12枚重ね。ヒートテック十二単(じゅうにひとえ)にございますやんけ。いとおかし。
それはどうでもいいとして、インターネットは時空が歪んでいる故、いちど話題になったネタが巡り巡って話題になるなんてことはよくあることです。そういう意味でこないだ見かけたのがこちら。
「45歳狂う説」です。元々は確か、数年前にはてな匿名ダイアリーで投稿されたもの。45歳だけじゃない。42歳や35歳や30歳、とにかくある年齢に差し掛かったとき、ある種の才能の発揮であったりとか、健康維持、恋愛、結婚適齢期などといった概念において、それらが成就するかしないかのボーダーラインに関わる内容を、年齢に仮託して語る。あの界隈の定番ネタみたいなもんです。
45歳で気が狂うのか。まあそれは自分で経験すればいいので一旦置いといて、この手の限界説においては失敗や挫折といった経験を、自分のアプローチや方法がまずかったとか、単に運が悪かったからと表現しないんですよね。挫折を経験した年齢を「限界値」として設定し、自分以外にも同様の効力がある大きな枠組みとして捉えつつ、その年齢が故の宿命として、限界を迎えて挫折したと結論づけたがる。

なんとなく私が連想したのが「怪談」です。昔、怪談話はみんなで持ち寄るもので、薄暗い部屋に集まって、一人ずつ順番に語り合うものでした。怪談話に共通することとして、「墓地」とか「沼のほとり」とか「逢魔時(おうまがどき)」だとか、怪奇を経験したことに説得力を持たせる性質の言葉が、その語りに練り込まれるものです。得てして、これらのキーワードは何度も使いまわされます。
なにが言いたいのかというと、怪談話では定番な「沼のほとり」と、限界説での「45歳」は、同じような性質を持つキーワードだと思うのです。怪談が似たようなシチュエーションから成り立つように、限界説にもいくつかキーとなる年齢があるのではないか。体力だとか容姿の衰えといったような、語る内容にセットしやすい年齢があり、そこを起点に似たような話が量産されやすい作りになっているが故に、敷居が低くて参加しやすいのではないでしょうか。
と書くと、「てめぇ、上から目線で語りやがって、年が明けたら餅に練り込んでやるか」などと物騒な反応があったりするもんで、言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン。なわけですが、最近私が感心した「限界説」がこちら。
80代でミス・ユニバースの韓国大会に出場された勇気あるモデルさん。彼女は70代で看護助手として働いていたある日、「閃き」が起こり、モデルを始められたそうです。引用した記事では、高齢者の経済活動への参加の期待と紐付けてまとめられていますが、つくづく経済産業ってのは、人の勇気とか可能性の後追いで成り立つものだとも感じる。ともあれ、私は人の可能性を引き上げる「限界説」が好きです。
そろそろ無印のBGMでクリスマス気分を高めていく時期だ。