口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

私がブログを書く理由をまとめてみた。

 

別なお題をはてなさんの方で募集してますね。「わたしがブログを書く理由」ですか。考えてみれば、このブログを開始してからというもの、いわゆるブログ論的なのは度々書いているのですが、ブログを基本的に読み直さないので、前に何を書いていたのかさっぱり覚えていなかったりします。


大切な時間を使って書いて、それってどうなのってことで、今回は珍しく、今まで書いた記事を遡り、「私がブログを書く理由」に相当する部分を引用してまとめていこうかなと思います。これまで自分がどんなことを書いてきたか、反省する機会にもなりそうで新鮮な気分だ。まぁ、とりあえずやっていきましょうか。

 

 

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目的を定めないからこそ、ここまで書けたのかもしれません。明確な成果を定めて、そこに到達し、着地できたとしたら、その時点である程度なにかが終わってしまうような印象があり、当ブログのテーマというか在り方としては、だいぶ違うなと思っています。


🧌ウチのブログは完全な雑記。このスタイルは今後も変わることはないじゃないかと。引用文でも書いてますが、あるジャンルに特化していたら、とっくにどこかの時点でこのブログは終わっていたかもしれない。テーマに縛られないことが、私にとっては習慣性とか持続性そのものの核かもしれません。

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私としては、自分の文章は最低限、毒か薬、このどちらかの効果には仕上げたいと考えながら書いています。理想としては、自分の書いた文章に含まれる毒を、自分の書いた文章で解毒していければいいと思うのです。


🧌ブログって自己治療にもなるかもしれませんが、逆に「自己汚染」にもつながるものだなと思ってます。文章中に自分の毒を出すと、解毒されると思いきや、自分の出した毒で自家中毒を起こす、みたいな。でも、それってある意味どうしようもないんじゃないですか。文章の性質って、ひとりひとりの宿命みたいなもので、書いて見ることでそのあたりが明確になるのかもです。

 

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何が潜んでいるか分からない遺跡のようなものを自分で作りたくなったんだと思います。自分の作った遺跡を自分でも発掘してみたいし、誰かに発掘の対象にされるのも、また面白い

 

🧌とか書いてるくせに、自分で作った自分の遺跡を冒険してないのが現状。遺跡の拡張ばかりしている。俺は一体どこへ向かってるんだ。


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ブログを始めて以来、常に取り巻かれている感じがします。ああそうなんですか。で、それはなんでしょうかと聞かれたら、それはつまり、「あなたの芸を披露してみなさい」という手引きというか、誘いのようなものが、自分の周囲をぐるぐるしている感覚です。

 

🧌ブログを始めた当初も現在もそうですが、「自分の芸を確立したい」という欲求は変わらないと思いますね。ただ、昔と今で違うのは、自分の芸がそもそもどこにあるのかわからないまま、曖昧な「自信」のようなものに誘われてブログを始めたのが、現在は「確信」しながらブログを書いているということです。それはもちろん、読者の皆さまのおかげでございます。感謝。

 

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わたしは、ブログを「場」というよりは、風景のようなものにしたいです。遠くから眺める風景のようなものがいい。そう思うのは、自分をいつでも遠くから、安全に、冷静に眺めたいからです。現実の自分に何が起こったとしても、遠くで自分はいつでも変わらずに確実に生きていて、冷静にそれを眺めている。そういう眼差しが欲しいと思っています。

 

🧌当ブログ最初期の記事より引用。自分の身に起こる出来事や、湧き上がった感情、そういったものから一定の距離を離して俯瞰できる「安全地帯」としてのブログ。この響きは魅力的だし、目指したい境地です。ただし、文章を書き続けるのは刃物を研ぐのに似て、安全地帯で書いているつもりの自分に向かって刃物が飛んでいくこともあるので注意が必要です。私も何度か自分で自分をグッサリやってます。


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ブログ自体が「デジャブの集合体」なんでしょう。そもそも、完全に新しい知見ってブログには求められないもので、「あ~、俺も昔そういうこと考えてたわ」みたいな、一度自分の中を巡った考えだったり、体験談の報告みたいなものが、時間を越えてぐるぐると巡り続けている「流れるプール」的なものだと思うんです。というか、それこそがネットがもつ性質であり、私もしれっとブログ記事を流して、どこかに届けばいいなぁ~なんて呑気に考えてるわけですね。

 

🧌体験したことや世の中で起きていることに対し、「わたしの考えはこうです」と主張する内容を書いたり、そういうことを書いた人の考えに啓発されるのはもちろん大事です。でも、なんとなく皆で同じようなことを考えていたり、同じような出来事に遭遇していたりするわりに、意外と表面的になっていなかったのを、たまたま誰かが文章化したのが、多くの人の思考や体験と一致していてビビる。そういう発見だとか、それに伴う感激もまた、ブログも含めたテキスト文化の旨みや強みだと思います。

 

とはいえ、別に誰かを特別に関心させようとしなくていいんじゃないですかね。大事なのは、どこに行きつくかわからない文章を自分から流してみるワクワク感だったり、逆に、相手が流したものを受け取って感激したりとか、読んだけれども自分と合わないものを受け流したりする、その潮流の中にいること。ブログを書く理由には、相当個人的な事情もあるだろうけど、その自分固有の事情も含めて、大きな流れの中にいることを信頼できるかどうか。ここらへんがブログを書く理由の、さらに手前の前提条件としてあるんじゃないかなと思います。


それがなければ、それこそノートとかチラシの裏に書けば済む話。ではなぜ、人の目に自分の文章を触れさせたいと思ったのか。ブログを書く理由とは、個々人が、この部分にどう答えていくかでしょう。勿論それは人それぞれ違う。そのあたりが、「文学フリマ東京37」で配布される「はてなブログ文学フリマ本」にまとめてあるのでしょうから、楽しみですね。ところで文学フリマ東京37っていつですか。え、11月11日? 出勤日です♨️