口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

ブログで自分の地層をつくりたい。

(今年の2月頃に一度投稿したものですが、自分を励ます意味でも、再掲載させていただきます……)

 

★★★

 

ブログを始めてなんやかんやで数週間が過ぎ、スターをちらほらと頂けるようになり、読者登録をしていただけるようになりました。感謝いたします。

 

日別のアクセス数も、最初の一週間ほどは、すんごいド田舎の田んぼの真ん中にある、半分廃墟化した個人経営の博物館ぐらいのアクセス数でしたが、二週目を過ぎることには、ド田舎の農道沿いにある、かなりヒマ~な食堂ぐらいのアクセス数に安定しました。個人的には順風満帆といったところです。ありがたいことです。もっとどんどんいらっしゃってください。

 

ブログに投稿するたびに、なんだか自分の知識や知恵や感情のバックアップの手段のように思えてきます。実際、自分からのアウトプットをどんどんブログにインプットしていると考えれば、そのうちブログ自体が、自分自身の総合知のようなものになるでしょう。

 

このままずっとブログを投稿していき、何年分ものアウトプットがたまっていくと、面白いと思う。年別に、知識や知恵や志向性や感情性といったものの「層」ができる。それをいつか、地質学者のように眺めてみたいと考えています。

 

10年分、20年分、30年分という自分の情報の層を形成出来たら、達観でしょうね。当たり前だけれど、そのためにはブログを地道に続けることが前提。そして、ブログを続ける原動力は、自分へ眼差しを向け続けることへの興味だと思います。

 

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別に、私がナルシストだからそういう眼差しが向けられるだとか、そういう事ではなく、誰でも、自分への眼差しはあるものだし、その時々によって変わるものでしょう。愛情をもって自分を見ることもあれば、殺意すらこめて自分を見ることもあります。

 

自分への眼差しの感情は目まぐるしく変わり、人間はそんな嵐みたいな自意識の中で暮らしています。私のようにニートで、生活のトーンが単調極まりない人間であっても、午前中はだいぶ敵対的な感情を自分に向けていたのが、午後は昔からの友人を迎えたみたいなハートフルな感情だったりするし、いい加減です。

 

ブログ文化自体、刻々と変化する己への眼差しを、自分の代わりに受け止めるための「場」として発展してきたようにも思います。眼差しの向け方によって、「場」の性格は変わり、「避難所」だったり、「研究所」だったり「劇場」だったりするのです。自分をどう見て、どう捉えて、どう考えているのかが、ブログへ投影される。それは、ブログというものの内容を越えたところにある、原初的な深い面白みではないでしょうか。

 

わたしは、ブログを「場」というよりは、風景のようなものにしたいです。遠くから眺める風景のようなものがいい。そう思うのは、自分をいつでも遠くから、安全に、冷静に眺めたいからです。現実の自分に何が起こったとしても、遠くで自分はいつでも変わらずに確実に生きていて、冷静にそれを眺めている。そういう眼差しが欲しいと思っています。