口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

余計な心配をさせない文章。

 

月に入り、体調を崩す人が職場で続出。大変なことになっております。なので私が応援部隊というか、社内派遣社員みたいな感じになり、労働力の足りない部署にて頑張った結果、私まで風邪でダウン。丸3日休む羽目になりました。さらには労働中に無理をして体調が悪くなる人までいる始末。職場のバランスがガタガタになってきている。


ところで、その体調の悪くなった本人が、「大丈夫です。ひとりで帰れますから」なんて言ったところで、周りの人が過剰に心配し、「途中まで一緒に帰りましょう」とか、「あたし、車で家まで送りますよ」とか、とにかく周りが助けようとします。それを断りきるのに、本人がかえって苦労するという光景を目にしました。結局、回復しひとりで無事帰れたので何よりでしたが。


親切な人が多いのはいいことですが、ちょうど私が上の場面に立ち会った時に、心配のタネそのものを消したいという観念に満ちているなと正直思いました。体調を崩したその人自身の希望以上に、「自分の助け舟に乗れ」という、周囲の圧力が優先されうるような場面だったわけです。もちろん思いやりがあるからこそ提案があるわけですが、本人が「大丈夫だ」といっているのに、自分たちの提案に乗るよう、過剰に当人から確認を取る。この姿勢にハラスメントの影がありはしないかと思ったのですね。

 

 

だいぶ話が変わるんですけど、私がこうやってブログを書いたりするときの基本姿勢として、「なるべく心配をかけさせないようにしたい」とは思っています。文章中に他人に心配をさせるような表現を容易に込めたくないんですね。それは、私が人に心配をかけさせて干渉されるのが、面倒で嫌いだからです。勿論、心配してくれる人がいるのはいいことだし、そういった人がブログでコメントをくれたりとか、そこにブログ的なやりがいを感じるのは悪くないと思っています。


つまりこれは文章に対する、私が保ちたい距離感というか理想の話なのですが、たとえば、日々の体調などはごくパーソナルなもので、その内容でもブログは書けますよね。でもその姿勢は正直、文章としてあまり上等ではないと感じてしまうところがある。体調や心理面の露呈に慣れた文章とは、自身を具材化することに慣れた文章であり、自分自身のことを書いていながらも、自分の存在を投げ捨てていると思うのです。果たして自分を大事にできているのかな、と感じる。


そういう私は、自分を大事にしたいわけです。するとやはり、書くべきことと書かないことは区別したい。とはいえ文章って、表現としてそんなくっきりと分けられる代物じゃないですので、今もこうやって書きつつ、どうやって自分とか周囲をボカすかなぁ、みたいなことを常々考えています。なのでもしこのブログを読んでいて、どこかしら霧がかかったような物足りない部分があると感じられた時は、配慮としてそうしているとお考えください。

 

youtu.be

霧といえば思い浮かんだのがこれ。