(これは今年の4月に投稿した記事ですが、頑張って書いたので再掲載させていただきます。この時は、4月になったら新しい元号になると勘違いしてたみたいですね……)
★★★
4月になれば無職も3か月目に突入。新元号をまっさらな無職で迎えることになります。素晴らしい。それとは逆に、新社員として新しい時代を迎える若者がたくさんいるわけだ。このダイナミクスというか、ベクトルというか、とにかく、地球ってすごいなと思う(?)
新入社員がすぐやめてしまう問題が発生するのも、毎年恒例のイベントとなっています。3年とか1年継続で辞めるなんてのは、よく頑張った感動したくらいに捉えられる。いまや、午前中に会社に行って午前中に辞めてくるのです。
出社日に会社の事務所で、ユニフォームと社員証を受け取りに行き、事務員が新入社員にそれを渡そうとしたら姿が消えている。それ以降、その社員が会社に現れることはなかったみたいな事もざらにあるらしい。風のヒューイみたいなセンスだ。わかりますか?
若者が社会に出る一方で、私も含めて「働きたくない」と、うだうだしているおっさんも多いと思われる。何で働きたくないのか、働きたくない人の数ほど理由があるでしょう
個別の理由はさておき、視点をグッと引いて抽象的に眺めると、要は働くことで対立する部分があるからです。なにと対立するのかは、働きたくない理由とイコールになっているわけだから、多種多様ですが。
「どうしても朝起きれない」とか、「会社に行くと体の調子が悪い」といった、『個別の生理的な特徴』との対立。「どうしても合わない人間がいる」、「他の人と何を話したらいいか分からない」、「怒られるのが嫌だ」といった、『個別の精神面』との対立。それから、「自分の理想の仕事とは違う」というような、『個別の志望面』での対立。
実際には、くっきりと分かれているわけではなく、複数の対立要素が組み合わされたモザイク画になっている。また、対立要素が表面にすべて現われていて、本人が把握しているとは限らない。誰にでも、潜伏している要素がある。それに、人間は年月とともに変化していきます。新たに生理面や精神面での対立要素が湧き上がってくるのです。
すると、ある会社組織全体、もしくはその中のある部署が、時と共に移ろうひとりの人間の要素に、どれだけ長い間、ある程度の合致を得るのかということが、その人が長く勤められるかという事と、その職場で長く勤めてもらえるかという事で、労働者と経営者側、双方の課題となるわけです。
が、これは非常に難しいことです。なにしろ会社組織自体が人間の集合体。また時代と共に移ろう存在で、寿命すらあります。人間ひとりの人生と、会社ひとつの人生が、本来なら一致するはずがないという事が、最近になってようやく分かってきたようです。
若い人ほど、社会をサーフィンしていくことにためらいが無くなってきたのではないでしょうか。直感的に、自分にとって対立する要素の鱗片でもかすかに感じ取れば、すぐ会社を辞めていく。そんなことでは、他所に行っても同じではないかと思うかもしれませんが、「他所」などいくらでもある、という当たり前のことが、若い人には分かっているのだと思います。
また、対立するといっても、「これは耐えられない」というのもあれば、「これくらいなら耐えられる」というように、その程度も単純ではありません。結局、組織に配属されなければ分からない要素が多い。直感を働かせて、これはダメだと思ったら他の所へ行く。なるべくいい入り口を探して社会をサーフィンしていく。
実に合理的なことです。合理はなによりもまず自分と合理するべきでしょう。自分の事をよく知っている優秀な若者なのだろうと思いたいです。