口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

僕は庭にいてもいいんだ。

無職になり早くも半年近く経とうとしている。おまえ、そろそろ辛くなってきたんじゃないのか。世間に申し訳なくないのか。別に無理しなくていいんだぞ。働け。という声がどこからともなく聞こえることもある。

 

自分が陸の孤島になったような気がすることもある。朝、ごみを捨てに行くときに、スーツを着た会社員、制服を着た学生とすれ違う。みんなが同じ方向へ歩いていくのを、微かに、羨ましいと感じる。

 

生活パターンもこのところ安定しきってしまって、午前中はブログとか勉強をする。午後はバイクで走ってくるか、庭に出て何かしらやっている。ほぼほぼ引退した人間の生活だなこりゃと思うこともしばしば。

 

家の前の道路がそこそこ人通りが多くて、常々、人の視線を感じながら生活をしています。なるべく気にしないように意識しつつも、意識の底の方でしっかりと影響を受けている感じです。そのあたりをまるで意識しなくなるほどふっ切れれば、その本人は爽快だろうけど、他人からすれば配慮の欠片もないみっともない人になってしまいそうです。

 

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それから、庭に出ていろいろ作業しているときに、これは自分のPRになってるんじゃないかなと思う時があります。つまり、草むしりとか、バイクをいじったりといった行動を世間に表明することで、自分自身に対しての理解を得ようとしているんじゃないかという事です。

 

何のためにと言われれば良く分からないけれど、「ここにいてもいい理由」みたいなものをある程度は意識して、平日の真昼間に庭にいてもサマになる行動を選択しているのかもしれない。バイクをいじったり、ペンキを塗ったりとかして、「趣味がある人」とか「家のメンテナンスをしている人」とか、見た目に理解しやすい印象をつくりだすことで、ある程度、世間との折り合いをつけているとも思えます。

 

別に、自分の物差しが世間からの認定しかないと決めつけるつもりはなくて、庭でやる作業は楽しいし、自分にとっては大切なものです。それでも、庭というのは、完全なプライベートではなく、世間との狭間にある。自分の価値観と世間の価値観がまぜこぜの場所です。

 

だから、庭に出てなにかしようかなと思ったとき、自分も満足しつつ、ある程度他人に見られることを想定した趣味があると便利なんです。そんなの無いよ~という人は、とっくの昔に定年になって暇になった人が、庭でやっている趣味を真似たらいいんです。盆栽でもいい、家庭菜園でもいい、草むしりでもいいから、とにかくやってみる。自分も満足できて、他の人から見ても納得しやすいものを探してみる。しばらくすれば庭での市民権も得られて、「ここにいていいんだ」と実感できるかもしれない。