口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

リーチとビンゴの話。

 

こ最近、なんか天気が信用できないです。朝はすごくいい天気で、おっしゃあ、洗濯物干したろと思って庭に全部干しますよね。で、午後から出かける。そしたら午後3時くらいに、急に空模様が怪しくなってくると。ああこれ、大丈夫かなと出先で思うんですが、結果的には全然大丈夫じゃなくて、私のブリーフやらなにやらが全部ぐっしゃぐしゃのびったびたになっており、思わず美空ひばりを唄う。そんな日々でございます。

 


Ai Sansan Misora Hibari 愛燦燦 美空 不死鳥

 

ネットもどんよりした感じがしますが、原因はあの事件でしょうか。今、みんながその話題に飛びついて、ツイートしたりブログを書いたりしているので、あえて直接触れませんが、私の印象としては「鳥葬」みたいだなと感じます。鳥葬というのは、チベットで行われている葬儀形態のひとつです。誰かが亡くなったあと、その死体を啄ませて自然に返すという方法です。

 

何が言いたいかと言えば、ある程度世間で有名な人は、その人自身が亡くなっただけでは、その存在感は消えません。しばらくはこの世にその人の存在は漂っていて、多くの人がその人の事を話題にしたり、回想することで、だんだんとその人が少しずつ消費(という言い方は微妙ですが)されていき、供養が終わる。

 

一般の人であっても、家族間であればそういう感覚はもちろんあるでしょうが、有名になればなるほど、その規模は大きくなり、本当の意味での供養が終わるのに時間を要する。それまで、故人はこの世にしばらく影響を残し、それを感受した人たちによる雰囲気に染まる。ネットは特に、そんな影響を受けやすい装置だと思っています。

 

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SNS上での誹謗中傷に関しても話題になっています。人が自殺する原因に十分成り得ることが実証された形になったからでしょう。それに関して啓蒙的なツイートをする人もいます。でも、感情論による諭し方では、誹謗中傷は無くならないと個人的には思うんですよね。そもそもSNS上の誹謗中傷は、理論的に行われているわけじゃなく、リスクを読めないまま感情的に行っている人が多いと思うからです。

 

そのリスクを自分なりに考えてみると、「リーチとビンゴ」の関係だと思うんです。つまり、誰かに対して誹謗中傷をする習慣のある人が、いつのまにか自分自身を「リーチ」の状態に追い込んでいる可能性がある。そして「ビンゴ」がいつ来るかというのは、誹謗中傷しているその相手が、行動の決定権を100%持っているわけです。

 

つまり、相手を脅迫罪や自殺教唆罪で訴えたり、もしくは自殺という形で相手にカウンターを与える行動の自由権を持つのは、中傷を受けている本人です。誹謗中傷を行う人に、根本的な自由は無いんですよね。結果的には相手の自由意思に前に服すことが決まっている。そのあたりが、誹謗中傷を習慣にする人がそもそも共有していない意識かもしれません。

 

まあ、人を見たら、「ありゃ法律なんだ」と思えばいいと思うんですよ。人の存在は法律にしっかりと守られている。一方的に人を殴るのは、その人だけでなく法律も一緒に殴っている。法律に対して直接攻撃をする人は、いわゆるテロリストみたいな人達で、粛清の対象になります。そんなのにならないように、美味しいものを食べたり、花を愛でたりしましょう。