口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

具体的な本。抽象的な本。


書にありがちな事として(唐突)、たとえば「最低、月5冊は本を読んだるぞ~」と意識して本を読むとします。そうすると、本をしっかり熟読することより、読んだ本の数を稼ぐことを優先してしまい、ついついページ数の控えめな、読みやすい本を選んでしまいがちな気がします。実際に私もそういう時期があり、最初は自分の決めた読書数のカウントを達成することに気を取られていましたが、だんだん「これはタメになる読書じゃないよな~」と感じて、やめました。


ただ、「月5冊は読むぞ」みたいなモチベーションに意味がないわけじゃないと思います。コンスタントな意識の読書と、時間やタスクに囚われない読書は共存できるはずです。というか、人間そもそも読書すること自体サボりがちになるので、「月5冊読むぜぇ!!」と自分を奮起させて本を手に取り、その中から長く親しめる本との出会いを求めていく、という感じでいいんじゃないかと思ってます。


で、やたら月5冊と連呼してますが、私の月の平均読書量がだいたいそれくらいなんです。ちゃんと読み切った冊数としてですね。kindleでダウンロードしたり、図書館で借りたりしても、読み切れなかったり放置したりも多く、結局5冊ぐらいで収まってきます。読み終わった後は定番ですが、とりあえずAmazonでレビューを眺めます。読み始める前にレビューを眺めるのは、余計なノイズになるのでやりません。


読み終わってなんとなく感想が固まってからレビューを眺めると、「同じ本を読んでいるのに、ここまで感想が違うんだなぁ」と感心します。「この本には具体的な内容が一切書かれていない。抽象的なことばかり書いていて役に立たなかった」なんてレビューがあったとしても、私からすれば、その本から具体的なことなどそもそも期待していないし、むしろ抽象的な事ばかり書いてあって面白かったりするわけです。本に対する人の期待は千差万別だと思い知らされます。

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そういや、「具体的なことが書かれていない」っていう批評はけっこう見かけるんですが、逆に「抽象的なことが書かれていない」って批評はほとんど、というか全く見かけたことが無いですね笑。なんででしょう。抽象的なものよりも具体的な方が信用できると思ってるからでしょうか。ただ、具体的な内容って年月を重ねれば劣化もするし、へたすると「丸ごと実は間違ってました」なんてことが判明したりもするから、それはそれで信用できない代物だと思うのですが。


あと、私の観察範囲でいえば、そもそもレビューに「具体的なことが書かれてない」と評価されている本のタイトルが、どうにも抽象的なものが多いんです。例えば『2030年の○○』みたいな、有名な学者が書いてる「未来予想図的」なものだったりして、内容も「現時点での具体例を散りばめつつ、抽象性の高いエッセイに仕上げた」感じだったりするわけです。つまり初めからその本は「抽象性」を売っているものだと予想できるのに、そこに具体性を求めて手に取る行為自体が、どこかズレているのではと感じます。


じゃあ具体的な本は何かというと、そりゃもう具体的過ぎて、これが具体的かどうかなんて疑問を持たない本が具体的と言えます。『亀の飼い方』『介護保険のしくみ』『日仏辞典』『果実酒の作り方』『食べられる野草の見分け方』『バードウォッチング入門』『剣道の作法』『全国秘湯図鑑』『日本の祭り』『乙種4類危険物取扱者試験問題』『盆栽について』『胃に優しい料理入門』『野鳥カラー図鑑』『京都寺社めぐり』とまあ、それ以外の余計な事が書かれていないのが明確な本であって、その人の頭の中で欲しているキーワードそのものみたいなタイトルが冠されているのであれば、間違いないと思います。介護保険制度を抽象的に語られちゃあ困りますしね笑。


ということで私の意見としては、本とはそもそもセールスポイントが、具体的か抽象的かで明確に分かれるものが多く、具体的な内容を求めたければ具体的なものを、抽象的なものを求めたければ抽象的なものを選べばいいだけだと思います。セールスポイントの違いは、本のタイトルやジャンルによってある程度予想はできるはずです。結局、本は自分で求めて買っているのでしょうから、「具体的な内容の本を読みたい」という具体的な欲求があるのなら、まずはその人が具体的に何を知りたいかが明確でないと、具体的な本を手にすることはできないのでは、と思います。

 

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川端康成とか。実在したとしても昔の文学者は抽象性が高いなと思ったりします。