おととい家にGが出ました。ゴルゴ13じゃありません。割とちゃんとした大きさのゴキブリです。ゲジゲジなんかたまにひょっこり出ますが、ゴキブリが出るのは本当に珍しいこと。おかげで処理が手間取りました。ずっと使わず放置してたゴキジェットプロが火を噴きましたぜ(いや火は噴かないですけどね実際)。ゴキジェットの面目躍如といったところじゃないでしょうか。すんません、しょっぱなからGの話などして笑。
ところで日中はすでに外に出るのもつらい暑さですが、なんとなく気分を変えたい時、外に出て公園のベンチなんかに座って飲み物を飲んだりしています。なるべく日陰のベンチに座りたいけれど、そういう場所はイチャイチャしたカップルや、気を詰めた表情のおっさんなんかがすでに座っている場合が多く、仕方なく抜群に日当たりのいいベンチでジリジリと日に焼けながら、心頭滅却すれば火もまた涼しと心中で唱えつつ居座り続けるのです。
それから周りの景色を眺めつつ、改めて自分なりに、ベストなベンチの配置を考えてみたりするわけですね。いま自分が座っているベンチを、ここからあそこの木陰に移動するともっといいんじゃないかとか。向こうのベンチはあともう数メートル横にずらすだけで、眺めとしてはもっと良くなるはずだとか。そういうのを考えだすと止まらなくなります。
その時、頭の中だけじゃなくて口も動かしつつ、「あれをこっちにやって……いやむしろ、全体的にこの広場にベンチを集合させて対角線上に配置するといいかもしれない。もしくは、木の下に必ずベンチをひとつ配置みたいな。ああ、その方が座ったとき視線が相手とぶつからないからいい」とかなんとかブツブツ言ってるんだろうと思うんですよ。ふと気が付くと私のすぐ脇に、5歳ぐらいの男の子が呆気にとられた表情で佇んでいたりします笑。
逆に、そこに座る場所があると最高だなと思える場所に、実際に休める場所が用意されていると、勝手に感動したりしています。そこから雄大な景色を眺めたりできれば、なるほど、ここにベンチを用意した人はこの眺めを見せたかったんだと実感できますし、また、その人の心意気というのか、なにを感じてここにベンチを置こうと思ったのか、その本人に乗り移った気持ちになって、追体験している気分にもなります。
あと、「なんでこんなところにベンチが置いてあるんだろう」と感じたら、とりあえず座ってみるクセがあるんですが、けっこう意外な発見があって面白い。例えば、ベンチに座るまではよく分からないけれど、座ってみると、その高さの視線でしか見えないものが見つかる事もありますよね。これは偶然なのか、そこまで計算した上でここにベンチを置いたのか。とにかく、そこにベンチを置いた人の思惑に惹かれます。
それから、私の住む田舎の方ですと、集落の中の細い路地にバス停が立っていたりします。利用するのは高齢者の方が大半で、当然立って待つのが厳しい方もいるでしょう。そういうバス停の脇に、椅子やベンチを置いてくださる人がおられるんですね。そこの近所の方でしょうし、もしかしたらバス停で立って待つのがつらい当人が置いた可能性もありますが笑。私はこういうのって良いなぁと思うんですね。機会があれば、座る場所を用意する側の人になりたいものです。
座る場所が気になるのは、外だけじゃなくて建物の中も同じ。日常的に目についた場所には座ってみて、点数は付けないにしろ、自分の中である程度評価をしています。そしてできれば、会社のお昼休みの時とかは、自分にとって高評価の場所に毎回座りたいもんですが、たまにトゲ付きの皮ジャンとか着た人がカレーパンを旨そうに食ってたりすることもあり、独占はもちろんできません。ああ、ここんところ「チェアリング」という、出かける時に折り畳みの椅子なんかを持参して、自分の好きな場所に座って優雅に過ごすっていうのが流行っているそうです。いいっすね。そのチェアリング向きの椅子をちょっとホームセンターあたりで探してこようと思います。そのうちチェアリング体験の記事とか書くかもしれません。
実際にイケメンが密になって椅子に座っていたとしたら、ちょっと距離をとって安全性を確保しますよね(なんの安全性かは知らん笑)