口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

公園には三年通え。

 

所で桜の名所と呼ばれる所の桜はとっくに散り、今度は山桜が見ごろをむかえています。別に名所でもなんでもない、そのへんの林や森の中で、若葉に紛れるようにして咲く山桜。ソメイヨシノの面制圧的な咲き方は、お祭り騒ぎって感じですが、山桜はそれとは真逆の、控えめで上品な趣ですね。

 

ところで最近、カルシウムとビタミンAとブログネタが不足気味です。ということで今回は縋る思いで、はてなからのお題に応えていく次第です。で、今週のお題は「好きな公園」ですか。なるほど。公園のことなら色々思うことがあるので書けます。地元でお気に入りの公園がだいたい三か所くらいあり、暇さえあれば練り歩いているのですから。そんな私なりの「公園論」を以下にまとめていきましょうか。


まず個人的には、「公園の上にも三年」かなと思います。お前はいったい何を言ってるんだと思われるでしょうが、読んで字のごとくです。同じ公園に三年通いなさい。さすれば、その公園はあなたにとって理想の場に近づく。多少の不満があってもです。ベンチが少ないとか、自販機が遠いだとか、トイレがちょいと汚いだとか。そういう細かい不満には目をつぶり、三年通いなさい。ただただ、三年通え。


するともう、その公園を手放せません。あなたの生活の一部になっている。あそこのベンチはあなたの椅子、あそこの東屋はあなたの別荘です。あなたは公園の主のひとりとなった。公園があることの意義、あなたはその真理に肉薄したのです。おめでとうございます。

 

 

なにがおめでとうだ。ちゃんと説明しろあほと言われそうなので今からしますが、公園で過ごす時間を、生活の一部に組み込むよう意識して生活すること。これを私は強くおススメします。なぜかといえば、公園で過ごすことは単純に「居住環境の拡大化」だからです。我々が公園で過ごすのは、多かれ少なかれ自身の居住環境に不満を持っているから。仮にあなたの家が皇居みたいな環境だったら、他所の公園なんて眼中に入らないはずです。


自分の所有地じゃないんだけど、自分の庭であるかのように夢をみる場所が公園。ある種の仮想空間なのです。公園を活用している人は、私も含めて皆、夢に浸っております。そして公園で夢に浸るには案外、経験が必要なのです。もっと分かりやすい言い方をすると、公園で過ごすことが堂に入るのにそれなりの時間を要します。さっきの話に戻りますが、三年くらいかけて気に入った公園を繰り返し訪れることで、ようやくその公園が、自分の心象的な所有物として根を下ろすようになる。


そうなったらもうこっちのもの。何でも可能。いや、それは言い過ぎでした。家で過ごすように公園で過ごすことなど朝飯前。まずベンチに横になって好きな本を読んだり、スマホではてなブログを眺めながらスターを押すこともできる。天気がいいなら芝生にシートを引いて座り込みましょう。青空を見上げつつ、家から持参した食べ物を咀嚼しながら幸福感に浸るなど、色々とできてしまうものですよ。


自分の家でさえ、長く生活しているうちに、「あ、こんな過ごし方もできるんだな。なんでこれに早く気づかなかったんだ」と改めて気づかされることがあります。それは公園も同様。同じ公園に繰り返し通うことで、違った観点から自分を満足させる方法が見つかります。周りにいる楽しんでいる人をよく観察することも、ロールモデルとなりますね。公園は幸福感のきっかけとなる動機を拾うのに良いところなのです。公園の自販機の前に小銭なんかよく落ちてますから、見つけたら拾っていきましょう。もしかしたら、未来の嫁や夫も拾えるかもしれませんぞ笑

 


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