あなたの特技は?と聞かれたら、「そうですねぇ、ベンチとか、あずま屋とか、外で座れる場所にやたら詳しい事ですかね」と言ったら、世間的には認めてくれるのだろうか。まあとりあえず、座れる場所には詳しいつもりでいます。
「あそこのビルの陰にある神社の境内にベンチがあって座れる」とか、「あの小高い丘のてっぺんにあずま屋があって、景色を眺めながらのんびりするのに良い」とか、とにかく自分が住んでいる所や、観光で行った場所なんかで、座れる場所、休憩所の類は、けっこう把握していると思います。
タダで座れる場所を知っていると、まあまあ得をするんじゃないかと。単純に歩き疲れた時なんか、近くに休める場所をいくつか知っていれば、そこを目指すことができます。気軽に座れる場所を把握していないと、確実に座るために、喫茶店に入って紅茶一杯で500円くらい払うとか、ちびちびと小金を使う習慣に繋がりやすい気もする。
座れる場所に詳しくなったのは、学生の時にひとり暮らしをしていたからでしょうね。6畳間のアパートに住んでいたんですが、まあ、生活に満足するには狭すぎます。だから、「外にあるものは自分のモノだ」みたいに考えるようになりました。自分の庭が無いから、公園を自分の庭だと考える。そして、その公園の一角にあるテーブル付きのベンチは、自分の勉強机だと考える。
という感じで、外に自分の居場所を点々と増やしていく感覚を身につけたわけです。この習慣が今でも残っており、座れるのに良さげな場所を見つけると、「ここは自分の場所」という感覚で登録していく。そんな登録場所が増えれば増えるほど、街自体が自分の一部になっていく感じです。
自分にとって馴染む場所を発見すれば、たとえその街を何年離れたとしても、ふと戻ってきたときに、時間を越えてその街に馴染む事もできます。距離的にとても離れている場所であっても、そこにあるベンチで休んだ、という些細な記憶でさえ、その場所を再訪したときに、「あ、前にここで休んだな」と、ある種の馴染み深さを覚えるものです。
私の実感として、座るということ自体が、かなり濃厚に記憶と結びつくのでしょうね。ベンチとかに限らず、飲食店の窓際の席とか、映画館の席とか、「昔あそこに座ったな」という感覚はいつまでも余韻を残します。遠い過去に、そこで座っていた自分と邂逅する体験をすることも、私は多々ありました。
そういった経験から、座ることは大事だなと思います。だから、座れる場所を新たに発見したら、とりあえず座っておこうか、みたいなところがあります。新しくできたお洒落な店に、新品の皮張りのソファが並んでいたら、とりあえず座ってみたり、寝転んでみたり、脇にテントを勝手に張ってみたり、火を起こして煮炊きをしてみたり、夫婦の営みに勤しんだりすれば、それはもう馴染み深い濃厚な体験としていつまでも記憶に残ることでしょう。