口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

やりたいことは馴染んでいますか。

 

SNS(というかTwitter)がカオスになってますね。地震に航空事故に芸能人のスキャンダルやらなんやらで、そういうのに噛みつきたい獰猛な人たちの闘技場になっている。あと、YouTube地震や航空事故関連のコンピレーション映像まみれとなっており、眺めてるだけで情報過多になるので、疲れやすい人はしばらく近づかない方がいいでしょう。


なんだったら、ネットからいったん離れて、それこそ「今年のやりたいことリスト」でもじっくり考えてみるのがいいのかも。で、わたしもちょっとやってみたんですが、「やりたいこと」って、実はそんなにパターンがなくて、それ以上に、「ここ数年のうちにやんなきゃならないこと」とか、「絶対にやりたくないこと」の方がじわじわ浮かんできて急に恐ろしくなり、布団に頭からもぐって尻だけ出すなどしております。この世のどこにも逃げ場はないんだッ🫨


それはいいとして、わたしは「やりたいこと」をしっかりリスト化するのが、割と好きな人間だったと思いますが、だいぶしっくりこなくなってきました。「やりたいこと」を1年縛りにするのがどうにも窮屈なんですよ。資格の取得なんかは、勉強する期間を縛ることで有効に取り組めるのでしょうけど、「今年は本を○冊読む」だとか、純粋な趣味に数値目標を定めることが、さほど有効だとも思えなくなりましたね。

 

 


そりゃ、ブログで書評などしている人ならば、年に本を何冊読むかがそのままネタの数となるから大事でしょうが、そうじゃないなら、窮屈な目標値を定めるより、制約をやめて自由に読むほうが身になるでしょう。さらにいうと、「やりたいことリスト」を作るのはいいとして、それまで全く取り組んだことがないことに対して数値目標を立てるのは、はっきり言って意味不明だと思うのです。


つまり、「今年は○冊本を読みたい」とか「今年は1週間に○キロ走る」などの数値基準は、もとからその数値に馴染みのあるからこそ有効になるわけです。去年、1冊も本を読んでいない人が「年50冊読みたい」なんてのは、ちゃんちゃらおかしい。去年もう少し頑張れば50冊読めそうだったとか、毎年50冊以上読んでるけど、ボーダーラインとして今年も50冊を基準にする。というように、それに肉薄できるか、クリアできるくらいの数値を目指すのでなければ、ただの夢物語でしょう。


わたしが思うに、「やりたいことリスト」は、当人が年齢を重ねれば重ねるほど、その人にとって馴染みのある行為ばかりになるのが理想ではないでしょうか。いざ、リストを書き出すと、「あ、今年もこうなりましたか。実は書かなくても知ってたよ。ほほ」ってぐらい、安定のやりたいことで自分が満たされていることを再確認できる。その土台の上に、突発的な旅行欲や、食欲なんかも色々と影響し、いい感じに暮らしていくのが人の望みですよね。みんなで今年もいい感じになろう😎

 

youtu.be

いい感じなバンドといえば、ドクターフィールグッド。バンド名を直訳すると「いい感じな博士」。いい感じにシンプルなロックンロール職人という印象。