口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

服を買うと服が蘇る。

 

場で人から、「ほしさんは春服とか買いに行くの?」と聞かれたのですが、私は野生の勘をもってこれを拡大解釈し、あまり服を持っていないと思われている→なんだったら俺の服あげましょか、のフラグかと思い、「ありがとうございます。あいにく服は間に合ってますので」と答えました。


そしたら、「ほしさんは服があっていいね。俺なんか全然ないよ。春服も夏服もないよ。靴下もまともなの無い……しまむらって男の服も売ってたっけか」などと仰るので、私の読みは完全に間違っていたのですが、それ以上に、その人が家で何を着ているのかが心配になりました。あ、何も着てないのか。裸族ですか。それはそれで多様性、ダイバーシティって感じですけど、しまむらに入る際は最低限の服ぐらい着て欲しい。


それはどうでもいいとして、上で服は間に合ってると書きましたが、20代はじめぐらいまでは服を買うのが趣味っぽい感じで、古着屋で変なTシャツなんか買って散財してたのです。が、仕事をするようになったら買っても自由に服を着れる時間もそんなにないと分かり、買う量も機会も減りました。今も服を眺めるのは好きなので、たまにお店に寄ったり、サイトを眺めたりして買ったり買わなかったりします。


若いころと今で、服の買い方も変わったなぁと思います。前は店で気に入ったものがあると、全身揃えてセットで買ってたりしたのですが、今の買い方は基本、「買い足し」です。家にある服との兼ね合いを考えて買うかどうかを慎重に決めます。だから、持っている服とトーンが合わないものはまず買いませんね。完全な「新調」っていうと、せいぜいスーツぐらいですか。それだって、すでにあるシャツやネクタイとの兼ね合いになるし。あんまり服で冒険しなくなりました。

 
今、外を歩くとローファーの表面にめっちゃ花粉付く。

 

なんせ、タンスの中で眠ってる服なんかもあるから、新しいのを買おうとすると、「ほしさーん、私たちのこと忘れてないすか」と脳に語りかけてくるのですよ笑。彼らを差し置いて新品を買おうとすると罪悪感が募ります。なので、どうしても服を買い足す場合は、着ないまま眠っている服を再び蘇生させて、日の目を見せられるようなものをなるべく選んであげたい。


でも、例えば家にある服の写真をスマホで撮って、それを見ながら店で服を選ぶとか、そこまで私は用意周到じゃなく、「むかし買ったアレとコレは合うんじゃないかなぁ」みたいな想像力でなんとかしてる感じです。眠ってる服を実際に着て、服屋に行って合わせるのが一番いいんでしょうけど、結局、外に着ていくにはどうもパッとしない気がするから二軍落ちしてるわけで、ちょっと恥ずかしいのです。


ただ、買い足しが成功した時の快感は大きい。着る服の選択肢が急に増えて嬉しくなります。「なんかイマイチ着る服がないな〜」と思っていたのが、アウターとかパンツを一着買うだけでも、いきなり普通に着れるものが増えて驚くことがある。だから、「買ったはいいけど、この服なんか微妙だなぁ」と感じても、なかなか思い切って手放せない。なにか一着でも足せば蘇るんじゃないかという期待を捨てられないからですね。


逆に、もう捨ててしまってることを忘れて、「この服は昔のアレとも合いそうだな」なんて買って、家に帰ってきてからそれがないことに気づく悲しさよ笑。こういうことがあると、ますます服を捨てられなくなってくる。世の中、あっちでもこっちでも持続可能性とか言ってますが、私にとって服は持続可能性そのものであり、SDGs的課題なのです。やがて意識の高さをこじらせて、「そうだ。究極の持続可能性の達成とは全裸生活に他ならない。服など無用」などと悟る可能性もなきにも非ず。その時は私の服を全てあげますので欲しい人は連絡ください。

 

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真ん中の人、髪型といい顔といい着てる服といい、山形の鶴岡市に住んでる友人そっくりなんやが