口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

「復興」に代わる言葉はないか。

 

日本大震災から先日で12年が過ぎたわけですが、地震があった日、私が当時住んでいた仙台のアパートで揺れを体験したことや、その後の被災生活も割と詳細に覚えていて、それよりも新しい記憶の方がぼやけているので、3.11以降、なんだか時空列が微妙にずれている感じです。それこそ頭の中に断層ができているような。


「復興」という言葉はいまだよく見聞きしますが、現にいま、福島に住んでいる身としては、その「復興」が何を指し示しているのかがよく分からなくなってきました。地震から数年ほどは、当たり前ですが、破壊されたものを直したりと、人が再び生活を取り戻すためにやることがたくさんあった。やがて鉄道が全面復旧し、居住制限区域もほぼ解除された。「復旧」ならば大方済んだ印象があります。


目に見えるものはだいたい直ってきたのです。でも、人の心だったり、その土地に深く染み込んだ、なんとも言いようがない寂寥のようなもの。それらはすぐには癒せないし、そもそも、こういうものが癒されるよう積極的に働きかけることが、いいことなのかも分からない。しかし、今後も続けて「復興」を謳うのなら、それは傷を負った人の心や、風景に介入していくことを意味するのか。


そもそも「復興」という表現は、すでに適切な言葉なのでしょうか。確かに、これまでは物質的に直したり、新しく作る必要性はあった。道路を直したり、防潮堤を作ったりと。今後はどうなのだろう。私は、自然とそこで生まれた日常を大事にしてほしいと思いますが、そんな、人の絆の繊細な回復過程を、「復興」という言葉で雑に表現し、利用する人たちへは強い反発を覚えます。

 

 

 

あと、「被災地(これもいいかげん差別用語に感じられる)」で、なかなか以前のように住民が定着せずに、過疎化しているといった報道を目にします。人が戻ってくるように活動している人もいるようです。それはいいのですが、こうした報道は震災以降、地元に戻らずに、他の場所で日常生活を定着させた人たちへの当てつけのようにも映ります。常に地元を意識させるよう圧力を与え続けているかのような。


こういう姿勢はまた別の示唆をも想像させます。「復興」の本質についてです。つまり、被災地の外に出て、独自に生活を回復させた人たちは、御旗に掲げる「復興」の範疇にはないのか、ということです。「復興」とは、場所に左右されずに人の生活が回復することではなく、被災地から動かずに生活を回復させた人々にのみ、その栄誉が認められるのか。といったことを考えさせるわけです。


さらに思うのは、これまでなら「復興」という言葉は牽引力になったかもしれないが、これからはどうなのかということ。私は確実にギャップが生じてくるだろうと思います。「被災地だから過疎化が進む」という認識で、インフラ等を投入すれば復興可能と見ていたのが、今後、生活の復旧が済んだ地域で自然と人口減少が進んでいくのならば、震災を背景にした「復興」を使い続けることは、現実を見据えていないことになる。


そこでなにか、今後も長く意識のよりどころとして使えるような、「復興」に代わる別な言葉はないものか。不幸を帳消しにするほどの発展をするという気概を感じる言葉ではあるものの、私は正直、「復興」に依存するのはもうやめた方がいいと思う。もっとこう、代わりになような、静かに優しく包み込むような言葉ってないものでしょうか。

 

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