口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

庭が心の命綱。

 

が住んでいる辺りは、ちょっと出歩くと田んぼや畑が広がり、タヌキもイノシシも普通に出没する田舎です。ソーシャルディスタンスなんぞ言われても、風景的にはピンときません。同時にこういった田舎では、買い物をするとか、人が集まって何かをするような施設が限定的です。あれだけ三密だなんだといわれていても、そこに行くとマスクをつけた人でごった返しているわけで、けっこう両極端な状態に振り切っているとも言えます。

 

あと、田舎あるあるというか、噂が広まりやすいですね。こちらでは感染者がまだまだ極少数派です。誰かが感染すると、注目の浴び方がえげつない事になる。実際、近所の感染者の個人情報が、どこからともなく私の耳にも自然と入ってきています。不思議なもんですね。自分で知ろうと思ってもいないのに、いつの間にか知っているという。

 

感染による健康被害と、プライバシーが侵害される可能性。この二つに対する警戒はしばらく続きそうです。とはいえ、それによって人間らしい生活が出来ないのは厳しい。人にはそれぞれ性格があり、部屋にずっと過ごしていても平気な人がいれば、一日に一度は外の空気を吸わないと生きた心地がしない人もいるでしょう。私は後者です。

 

それで思うのですが、そういう人間からすると、「自宅の庭」が精神的な命綱になるんじゃないかと。本格的に外出が憚られるような情勢になったとき、ふと息抜きをしたいとか、精神状態を正常に戻す必要がある時に、適度な広さの庭があり、そこで適当に何かをやることが、重要なファクターになるんじゃないかと思います。

 

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そう感じるのは、実際に庭で自分の調子を取り戻したり、体調を回復した経験が多々あるからです。大抵の調子の悪さは庭に出れば治りました。天気のいい日に庭にぼんやり立ち尽くして、日に当たるだけでも、心の滓は取り除かれます。あとは、ストレッチをしたり、草むしりをしたり、愛車を水拭きしたりと、そういうごくごく日常的な行動を通すことで、調子が悪かったことなどすっかり忘れてしまいます。

 

庭という場所は意外と、その人が注目しない限り、大切さが分からないこともあると思うんです。現に私が10代の頃なんて、庭なんていうのはただのスペースに過ぎず、自転車やら車を置く場所くらいにしか思ってませんでした。庭があることの価値に目覚めていなかったのです。もったいないことをしていました。

 

現在は晴れていれば、12時間ぐらいは庭で色々やっています。「そんなに庭でやることってありますか?」と言われそうですが、逆です。家の中でやっていることを、庭に持ち出してやればいいのです。スマホをいじるのも、庭で風を感じながらやると、セレブのバカンス気分を味わえますよ(笑)。コーヒーを飲んだり、お昼ご飯を食べたりするのを、庭に持ち込んでみるのは面白いです。

 

今後はいつも以上に、家の庭にはお世話になりそうな気がするので、そこでの生活を快適にするようなモノを少しずつ備えていきたいところです。といっても、高い物を揃える必要は感じません。ちょうど良さげな小物を買って飾るとか、花の苗を植えてみるとか。それくらいで肩ひじ張らずにやっていこうかと思います。