口から出まかせ日記【表】

趣味は豚の角煮作り

親ガチャどころか秒ガチャですよ。

 

チャの概念がスマホゲームを飛び出し、日常用語として定着してどれぐらい経つんでしょうか。気づけば周りで普通に「ガチャ」を使い始めてたような気がします。最近「親ガチャ」が話題って聞きますが、私からすると今更感があり過ぎです。あと、「容姿ガチャ」や「国籍ガチャ」も聞きます。自分で選ぶ権利も無いまま、勝手に選ばれてしまったもの全般をガチャと呼ぶ文化なわけですね。


ランダム性のあるもなら、なんだってガチャになりますよ。私は日本酒を好んでよく買って飲んでますが、馴染みのない銘柄もまだまだたくさんあります。事前に情報を得ていない限り、数多の日本酒から一点を選んで買う事はランダム性が高く、無作為にガチャを引いてるのと同じ。当たりもあればハズレもある「酒ガチャ」を引いている人生を現在進行形で送っています。


なんとなく親ガチャの話に戻ると、子供が期待外れの親に対して「親ガチャに失敗した」とか言いますが、それなら親は親で、自分の期待通りに育たなかった子に対して「子ガチャに失敗した」と考えるのも成立します。でも、どちらかといえば子供の方が、色々と勉強することで可能性を変えることもできるから、まだ希望のある「ガチャ」ともいえる。でも、物心ついた子供から見た親は、良くも悪くもある程度完成品として存在するわけで、だからこそ子供からすればそれ以上の変化が伺えないものだと、早々に見切りをつけた上で「親ガチャ」と呼ぶのかもしれず、そのへんは微妙な食い違いがあると思うのです。


しかし、不可思議なものよと思いませんか。親ガチャから子ガチャが生まれ、その子ガチャから孫ガチャが生まれる。我々の過去も未来も延々と、ガチャで成り立っているのです。「親ガチャに失敗した」なんて絶望したところで、その親もまたガチャ的に生を受けて、その親も、またその親もと、どんどん時を遡っていくと途方もなくなってくる。うん。そういうことを考えながら酒を飲むと美味いんですよこれが笑

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ガチャを生み出している根本の概念は「時間」でしょうね。時間の概念がなければ、そもそもガチャが回りませんし、もっといえば、地球に人間が存在しなければ、ガチャ=運の概念も生まれなかったでしょう。人間の思考の中にしか運の感覚はありませんから。なので、人間の住んでいない地球以外の惑星には、根本的に運は存在しないことになる。夜空を眺めて、他の惑星の寿命について思いを馳せたりするかもしれませんが、それは人間がみんな揃って地球の側を一時も離れないからこそできることです。


それと、今こうしてブログを読んでいる、その一分一秒自体が「ガチャ」だと言えますよ。生きていれば自然と目の前に時間が生み出され、刻々と止めどなく消費されていきますが、経過していく秒単位の時間には、様々な予感が内包されている。私は今から3秒後にくも膜下出血で急死するかもしれない。あ、3秒経ちました。死んでません。無事に生存ガチャを引きました笑。ですが、まだまだ油断はできませんぞ。今から60秒後に血栓が脳に詰まるかもしれないし、120秒後に毒虫に刺されて死ぬるかもしれん。


ありとあらゆるリスクを日常的に通過している我々は、常よりガチャを引き続けているのと同じです。明日の朝、家の玄関を出たとたん車が突っ込んできて死ぬとか、カラスに脳天を突かれて絶命するとか、そんな可能性だってある。「んなわけない、俺に限って」と思うかもしれないけれど、ニュースなんか観ると実際に不幸に遭遇して死んでいる人が、何故だか毎日いるのは確かな事で、いつ我々の誰かがそちら側に立つかも分からない。


死ぬ死ぬばっかり言ってるのは辛気臭いので良いことを思い浮かべると、通勤途中で大金を拾うとかもあるかもしれないし、そんな大したことじゃなくても、パンチラを見かけるとか、ちょいちょい良いことだってあるはずです。ガチャ自体は引いたとたんに厳然たる結果が出てしまい、それ自体はもう変化できませんが、どんどんガチャを引き、良いも悪いも含めて様々な獲得を得ることで、その人にしか感じられない「人生の綾」のようなものを味わえるなら、悪くないんじゃないかと私は思ってますが、どうでしょうかね。ということで、明日もまた皆でガチャを引きましょう。

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最近「曲ガチャ」に恵まれています。