口から出まかせ日記【表】

酢の物が美味しい時期になりまして。

読書は予防接種かもしれない。

 

月は「なにか新しいことはじめようかなぁ」とぼんやり考えてたら、あっという間に過ぎました。というかここ20年以上、餅、ミカン、カマボコなんかを食っているうちに儚く過ぎ去っているような気がします。


他には何をしてたかというと、掃除、散歩、入浴、睡眠といった人間の基本原則的な行動に、ブログやゲーム、エロ動画鑑賞等文化的で意欲的な行動を挟むといった具合です。その中でいつもより意識していたのは読書かもしれません。とりあえず暇だったので本を読んでました。


買ったままほったらかしてたり、図書館で借りたり、死んだ祖母が読んでいた本などを、片っ端から乱読していました。基本的には素面で、時にはだいぶ酒が入った頭で文字を追い、時おり天井を見上げながらぷうぅと屁をこいたりと、それなりに充実してたんじゃないでしょうか。本があれば、何があろうと、なんとかなりそうな気がする。


で、ふと自分はなぜ本を読み続けているのだろうかと思いました。なんらかの答えを求めたり、解決を求めて本を読んでいる感覚はありません。20代の頃に本を読んだ時、「ここに書かれている以上の答えはないんじゃないか」と思ったことはいくらでもありますが、別な本と出会うことで、絶対的だと思っていたものが儚く崩れた経験があり、むしろ本を読めば読むほど、分かりやすい解決からは遠ざかっていくんじゃないかと考えています。

 

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じゃあダメじゃんと思うかもしれません。私もほんのりダメかもと思ってます。それでも、分かりやすい恩恵にあずかっていなくとも、現在進行形で本を読み続けているのは決して無駄じゃないと感じます。その無駄じゃないと思える感覚は、こうこうこうだからと説明できないので、ただの妄想かもしれず、説明力にも証明力にも欠けます。


そのあたり、もっともっと長い時間をかけて本を読むことで、具体的に見えてくるかもしれません。もしくはいつまでも姿が見極められないにしろ、本を読む習慣自体がもつ恩寵とでもいうのか、そういうものに包まれながら、読む意欲が末永く続いていくのかもしれない。個人的には本を読んでいるだけでも、守られているような感覚を普段からほんのりと感じることがあります。


もしかしたら、本を読むのは「予防接種」に近いのかもしれません。といっても現実の予防接種は、具体的な感染症の予防のために接種します。本はなんの予防になるのか。まあ、そこはちょっとよく分かりません。もちろん特定の参考書なんかを読んで、試験のために備えるのは「予防」といえるのかもしれない。


では、特定の目的がない単なる趣味としての読書は、何の予防になるのか。うーむ。たぶんですが、時間の影響からの予防じゃないかと。時間があることは、必ずしも人に良い状態を与えるわけではないし、時間の経過は人にとって毒として機能することもある。でも、本を読むことで時間を忘れて、時間の外に出ることを覚えられます。一時的な退避だったり、もっと積極的に「旅」と表現してもいいかもしれませんが、時間の影響を受けない(と錯覚できる)習慣を組み込むことになります。


たとえほんの一時的な効果でも、本の持つ強い力で、時間の影響を受けずに予防されている「何か」があることを想像しながら、私はこれからも本を読んでいきたいと思います。

 

 新しいことといったらラジオを始めたくらいです。適当なので期待しないでね🤪