口から出まかせ日記

牛丼屋に対する期待値を下げるブログ。

ブログは文章でコスプレする。

 

分からブログを投稿し始める前、世の中にあふれるブログとは、ほぼ一方通行の関係でした。いわゆる「読み専」ってやつですね。それはけっこう消極的な関係でして、こまめに更新されているブログ記事なんかを、会社の休憩時間にだらだらとスマホで眺めるような感じです。まあ、書く意欲がふつふつ湧いてきたのも、そんな習慣があったからだとは思いますが……。


自分で書くようになったいまは、以前より真剣に読んでいると思います。読むことによって新しいネタが思いつかないかなとか、この記事で書かれていることと自分の意見は正反対だから今度書いてみようか、みたいな。読むことによって書くことへのモチベーションが高まり、書くことによって読むことへの期待も高まるといったように、循環できている感じがします。いいことです。


ところで、書いた人の性別がよく分からないブログってありませんか。繊細な文章を書かれていて、移ろう感情の動きや、生活の中の些細な仕草まで想像させる文章を書いていたり。それとは逆に、ラフで荒々しい感情や文体をまとった文章を書いていたりとか。ブログ主が公表していなかったり、記事を読んでも性別や年齢が想像できないとなると、その文章の印象から、私は勝手にその人のイメージを作り上げることになります。


だから、ずーっと自分のイメージの中だけでその人のビジュアルが成立していると、その人が自撮り画像なんかをブログに載せたりしたとき、それまでのイメージがガラガラと音を立てて崩れていき、途方に暮れることもあります。別にこっちが勝手に途方に暮れてるだけの話でして、書き手はちっとも悪くありません、念のため。こちらとしても、よろよろと瓦礫の山からイメージを組み直すだけの事です。無問題。

 

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はるか昔、紀貫之というおっさんが、「男がやってる日記ってのを女の私もいっちょやってみますんでよろしくぅ」と、土佐日記で書いていたように、古来より文章とは「仮装」の有効な方法でありました。現在は仮装というかコスプレの方法も視覚的な部分を重んじており、「女装男子」に「男装女子」、「バ美肉」(最近までなんの略か知りませんでしたが「バーチャル美少女受肉」の略だそうです)などなど、手段が豊富になりました。紀貫之が今の時代に生きてたら、自分のビジュアルを変化させる方面にいったんじゃないでしょうか。


ブログもまた、多少なりコスプレの側面があるメディアかとは思います。それも、相当古風な「仮装」が息づく世界かもしれない。仮装とまでいかなくとも、文章を書く時、誰しもがある種の理想化を施します。「整った文章なんてくそくらえ」と思いながら乱れた文章を書く。それだって、その人の理想化です。ブログのように、個人的な内容ながら公表する形をとっている文章は、根本的に正確ではなく、人の思惑が混ざった不純物です。だからこそ、文章を読んだ時に、自分もまた仮装して文章を書いているのを自覚するし、影響される部分も大きくなるのだと思います。


私の文章も間違いなく仮装してます。ただ、「こういうキャラでいこう」とか、設定をしっかり行っているわけじゃなく、一番重視してるのは、その時のノリとテンション。でも、それだけだとかなり刹那的な印象になるので、それをなるべく整った文章で、オブラートに包み込むようにしているのが、私のブログかもしれません。


あの、もしかしたらオブラートに包まないでラフにやったほうが、はてブでの受けは良いのかもしれない(笑)。まあ、これからもながーくぼちぼちやっていくと思うので、文体だってさすがに変わっていくとは思います。そのうち私の性別だって変わってるかもしれませんぞ……。

 


チベット仏教の僧侶たちのボイス

ここ数日体調が悪く、会社を休んでいました。今回の記事はリハビリみたいなもんです。気晴らしに音楽でも聴こうかと思い、これを聴いてたらおかゆを吐きました。