休みの日に虚脱してテレビを観てると、「代官山で話題の最強スイーツ爆巡り女芸人の旅~」みたいのが急に始まりがちですが、けっこういい値段するわりに、やろうと思えば自分で作れそうな料理がひょっこり出てきたりします。パンケーキが二枚くらい皿に載っており、その上にベリーやらチョコチップをまぶし、生クリームをどすっと設置。最後に謎の草を添えて完成、みたいなやつ。
それにコーヒーが付いて二千四百円などと、代官山では得体のしれない金額を払わされる。が、家で作るとなればその半分以下のコストで済みます。中途半端なホットケーキミックスも牛乳もあるし、冷凍のブルーベリーと生クリームもある。庭の隅っこに枯れかけたイタリアンバジルも生えている。チョコチップ代わりに森永のチョコフレークをまぶせばいい。家で代官山をやればいいのさ。 天使が降りてきて耳元でそう囁く。
でもやらない。椅子から腰が一ミリも浮かない。そういうことなんです。つまり外食産業とは、「自分でも作れるけれど、めんどくさいからやらない」という怠惰な心が発展させたのです。または、「作れるけど、別に今それを食べたいと思わない」という感覚も大いに関係している。こういった感情こそ、大〇屋や大阪〇将を全国チェーンに育て上げる土壌となった、のかもしれない。すげえ適当。
ついでに私がこの半年間に外食したものを思い出してみましたが、生姜焼き定食、ハンバーグ丼、チキンカレー、サバの文化干し定食、サーモン漬け丼、明太子パスタ等々。まあ、作ろうと思えば家で作れるものばかり。逆に作れないものっていうと、手打ち蕎麦とか、ラーメンはちゃんと作るとなると鶏ガラから煮ないといけないし、寿司は握れないし。そんなとこでしょうか。
福島県福島市の名喫茶店「珈琲グルメ」の名物、「グルメのロコモコ」です。この味は家で再現できないぞ(たぶん)!!
ああ、節約生活をネタにブログを書いている方もけっこういますが、外食については敵意というほどでもないけど、お金の無駄だと考えている人も多い印象です。そして、「作れるものは自分で作りゃあいいじゃん」の精神で、色々工夫して作っていたりします。これはとても見習いたい。でも、「自分で作れるものを、なんでみんなわざわざ外食すんのかなぁ。馬鹿なの?」みたいな見方は、完全に的外れではないか。
逆ですよ、逆。自分でも作れそうな、または自分の奥さんや彼女、お母さんが作ってくれそうなものを、皆あえて食べたいのです。もちろんそこは彼氏かもしれないし、お父さんかもしれない。だからこそ、昼休みになるとサラリーマンたちは、女将さんがひとりで切り盛りしてるような店に好んで赴き、メンチカツ定食なんて頼むわけです。そして、美味しい美味しいと言いつつ、心の中では(よくみりゃ、家で作れそうなもんばかりだ……)なんて思っている。
その心の声を外に漏らしてはいけない。野暮が過ぎるってもんです。そもそも昼間の七百円のランチ程度で求めてはいけない感覚なのだ。不満なら、カウンターの寿司屋か蕎麦屋にでも行って、千二百円出せばいいじゃないか。んな誰でも分かりきってることをなんで口に出すんだ。馬鹿。同席していた人から、そういう感情の乗った視線を向けられた人を実際に見たことがあります。
だから間違っても、誰かに連れて行ってもらった店で、「これ、家でも作れそうだよね」なんて呑気に口に出してはいけないと思います。これはお店の人だけじゃない、連れて行ってくれた人に対しても侮辱になる。鬼滅の刃の煉獄さんの態度が一番正しい。その場では、うまいうまいうまいうまいと笑顔で連呼していればよい。そのあとひとり布団の中で、(よくよく考えてみれば、あれは家でもつくれそうだったな……)と回想しながら、いつのまにか眠りに落ちている。それでいいのです。
私の大好きなアイスランドのバンド、Low Roarのヴォーカル、ライアン・カラジアが亡くなった。まだ四〇歳だった。大きなショックを受けている。HVÍL Í FRIÐI(安らかに眠れ)