このまえXで、「自炊ってぶっちゃけそんな安上がりじゃないよね」的なポストがバズってたのを見かけました。反応としては、同感だという人と、「工夫次第でいくらでも安上がりになるでしょ」って人に分かれてる感じでしたが、だいたいこの手の話って、各々の生活背景が違うから収拾のつくわけがないのですよね。ギリギリの生活を維持する自炊もあれば、余裕のある趣味としての自炊もある。安易な自炊の話は争いの火種だ👹
ちなみに、私が厳しい生活をしていた時期、おそらくいちばん安上がりだったのがパスタでした。業務用スーパーで5キロ入りのパスタを買っておき、お腹が減ったら適量を茹であげて、溶き卵とマヨネーズを絡めてから塩胡椒を振りかけて食べてました。貧困カルボナーラだ。これが意外と美味しくてですね、結局、黄金比で美味さは編み出せるんじゃないかっていう感覚を覚えた。
ところで。そもそも自炊を、「食べたいものが食べられないから、仕方なく自分で作っている」という後ろ向きな感じで捉えていると、その通り、食べたいものがいつまでも食べられないままになるんじゃないかなと思うのです。自炊をお金が無いために行う、ある種の妥協的な行為として捉える感覚は、私には違和感がありますね。自炊は自分の可能性を探ったり、選択の幅を増やすための豊かな習慣だと考えているので。
ある人にとって、自分で料理をつくることは、なんのメリットもない行為だと考えているのかもしれない。それはそういう捉え方をしているからそうなるわけで、不本意であったとしても、「自炊する機会を与えられている」と考えれば、色々と試すチャンスでもある。それまで、お金があったり家族に依存してたりで、自炊の経験が無かったというのであれば、ますます結構な機会ではないですか。
これは私の感覚ですけど、自炊をするようになって、色々なものを自分で作れるようになるに従い、精神的に随分と安定した感じがありますね。それまであった心の空白が埋められたからかもしれない。簡単な話、自炊は自信につながるのでしょうね。作れる料理のレパートリーが一品一品と増えていくに従い、自分の中にある不安が埋まっていく。その不安ってなんだろうと考えてみると、おそらくは「自分の未知数さ」ではないか。
自分に何ができるのかよくわからないことから生ずる、根源的な不安が、自炊をして何かを作れるようになるたびに埋まっていくように思えるのです。だからですね、自炊は自分の置かれた状況に関わりなく、やるべきだと思うのですよ。もしですよ、私が今後大富豪になり、大量の部下を抱え、自炊なんてやろうとするととんでもないとか言われる身分になったとしても、自分で小松菜を刻んで炒めたりなんだりしたい。もちろん自分の心の平安のためにやるのです。
最近は70年代ロックンロールを聴いてます。ロキシーミュージックなんてほぼパンクやんけ。