今週のお題は「大人だから」ということですが、「大人」と聞くとキングゲイナーというアニメで、主人公が敵対してくる年上のおねえさんに、「大人のやることかぁッ」と激昂し、それに対しておねえさんが「大人だからやれんだろうッ?」って返事をする熱いシーンを思い浮かべます。ちょうど無料配信してるんでみんなで観ようキングゲイナー🕺
その熱いシーンは21:00ぐらいから。
大人だからやれる。まったくその通り。ていうか大人にならないとやれないことばかり。だから子供のときはボールが友達で、私も休み時間にボールばっかりいじっていたし、あと自転車があればなんとかなるのが子供の時代でした。が、大人になって選択肢が増えた途端、ボールとチャリンコじゃどうしようもなくなった。できることが増えたぶん、お金も稼がにゃならなくなりましたが。
そのように増えた選択肢の中で、私にとって特に「大人」を感じさせたものが、やっぱりお酒ですかね。なんせ、付き合い方を間違えれば、死ぬ。子供の頃から危険なことをしてきましたが、お酒はこれまでの危険性とはまた異質なもの。人生を左右しうる依存性を持つ代物が、20歳になった途端に飲み会の席でポンと置かれるようになったとき、ああ、これが大人かと思ったものです。嬉しくもあり、どこか見捨てられたかのようでもあった。
酒やめらんねぇ
ある年齢に達したという理由だけで、簡単に人を狂わしかねないものが身の回りに溢れるようになる。これが、アルコールから大陸間弾道ミサイルまでと幅広いのが、大人の世界といったところでしょうか。自分に対しても、また他人に対しても、歯止めが効くことを前提とし、多くのものが託されていきます。本人にその能力があるか未知数の時点でです。実際、能力が足りずにやらかす大人たちの姿を、子供たちは眺めながら成長していく。
車での人身事故が原因で晩節を汚し、このまえ刑務所で亡くなられた人がいましたよね。一時期、世間の敵の如く扱いを受けられていましたが、あれこそ大人の世界の象徴のように感じました。大人は根本的に許されない。特に人の生命を奪うなどした場合はです。これは司法的な手続きや処理を行えば済むという話ではなく、人の死に関わるものを多く託されている大人が、他人の人生に重大な過失を与えると、いわば「大人の前提となる道義」を脅かした存在として認知されてしまうからだと思うのです。
怖いですよね。その割にみんなすんなり大人になっていく。スーパーでお酒を買い慣れてなさそうな若い人が酎ハイとかをじっと眺めてたり、教習所の練習車が公道をゆっくり走っているのを見かけたりすると、色んな選択が託されていく経過を見ているみたいで、それはもちろん晴れがましいことではあるけれど、実はすでに、自分も含めたあらゆる命をその手に握っていると、頭の隅の方でチラッとよぎるくらいの感覚は常に持っていて欲しいし、私もそう致します。
最近はSAULT(ソー)のアルバムを聴いている。