考えてみれば(唐突)、私がこのブログを開始してから現在に至るまで、私生活の方にも色々と動きがあったものだなと思いました。そもそもがこのブログ、当初は「無職ブログ」だったのですよ。無職の人間が屁理屈でもって現状を肯定するという、なんともキラキラした結晶のごときブログであった。自分でそれ言うか。
しかし、ほどなくして私は就職してしまい、2年ほど勤めてその会社を辞めて再就職。今の職場でもすでに2年以上働いております。もうすっかり勤め人のマインドに染まり、ちょうど今の時期の秋空のように、高らかに自由でありつつ、どこか寂しさが付き纏う無職の心象風景からはすっかり遠ざかってしまった。無職時代からは読者の方も入れ替わったように思いますが、一貫してずっと読んでくださる方もいて有り難い限りです。
ところで、働き始めてからの過ごし方として大きく変わることといえば、帰宅後ですよね。無職だと丸一日が自分の所有物だったのが、それが大きく削られて、帰宅したあとの数時間が取り分となる。そこで自分らしさを一生懸命に取り戻さねばなりませんから真剣にもなります。しかし、人は弱い。有意義に過ごそうと思った矢先にYouTubeをちょびっと観たりしたらもうアカン。ふと時計を見たらもう23時32分でもはや寝る時間なのです。そして自分に対する静かな怒りと共に寝床に入り、明日こそはきっと有意義にと、誓いを立てるのです。

帰宅後にもやしの調理を極めようとしている証拠画像です
ところが人はあまりに弱い。些細な誘惑に負け、次の日も、その次の日も、心から有意義だと思えるような日は来ません。日によって自分のコンディションも違います。読書して、ブログ書いて、筋トレするぞと誓っても、読書と筋トレはできたけどブログがさっぱり書けなかったりと、こっちが立てばあっちが立たずな歯痒さがある。時々、やりたかったことが全て理想通りの配分でできる日もあって、そうそう、こういう感じをこれからもやっていこうぜと自分の心に言い聞かせて就寝。でも次の日、帰ってきて早々にYouTubeを観て爆笑しているのです。YouTubeがぜんぶ悪い。
ともかく、いつの頃からかプライベートの過ごし方に、ある理想を反映させようとする感覚が忍び込み、うっすらとした競技性まで帯びてくるようになってしまいました。この「究道精神」とでもいえるものは、一体どこからやってきたのでしょう。全ての人がこの感覚を持っているはずがないのですよ。はてなブログを読んでいると、仕事のあとでジムに行ったりコーディングしたりと、生活意識の高い人も多いからまるでそれがアベレージのように感じられるけど、本来、仕事において達成される感覚を生活上にまで持ちこむって、割と特殊なはずなのです。自由なはずの自分の私生活でさえ、「達成感」という評価軸でもって、ある種の回収作業をしているといえますからね。
ただ、公私の感覚をいったん投げ捨てて、「あなたは意識的な目標の達成が好きなのか」と問われれば、私は間違いなく好きな方だと思います。あ、つまりこういうことか。仕事では仕事の達成感を得るわけですが、それを「私有物」であると感じないからこそ、プライベートで自分軸での達成感が必要なのだろうか。いや、それって普通じゃねと言われればまあそうなんですけど、このプライベートでの達成感は、他人の基準でとやかく言われる筋合いはないものですし、「ようやく自分を自分で飼い慣らせるんだ〜」って感じなのかもですね。
こういう中毒性のある動画こそ人類の敵(褒め言葉)