朝晩めっきり冷えるようになり、木の葉も先端の方が色づいてきている。だんだん、あの歌が似合うようになってきた。
はっきり覚えていないのだけど、この『小さい秋』は「秋の歌」ではなくて、実は「冬の歌」だ、というような解釈を、どこかで聞いたか読んだかした記憶がある。秋には小さいも大きいもない、スケールで測れないもののはずなのに、なぜ「小さい」というのかといえば、この歌がとても主観的な体験に基づくかららしい。
この歌に出てくる「誰かさん」は、「小さい秋」を見つけた。それは、紅いモミジの葉っぱ一枚かもしれない。それ以外に「誰かさん」の周りに秋を呼び起こすものはなく、もしかしたら一面は雪深い真っ白な風景なのかもしれない。
「誰かさん」は、その残った一枚の紅い葉っぱを眺めながら、過ぎ去った季節を豊かに回想する。小さい葉っぱ一枚と、同じく小さい「誰かさん」の心の中に息づく風景が交感する。季節がとうに秋を過ぎているからこそ、小さな体と心に凝縮された秋の情景が、葉っぱ一枚を通して溢れんばかりに醸し出されてくる……というような感じだったと思う。
ところで、外に行くと私はついつい色んなものを拾うクセがある。木の実とか、花びらとか、貝殻とか、小銭とか、目についたものは拾っていく。秋になると拾うものが多い。ドングリも落ちているし、栗とか、クルミとかも落ちている。
もうちょっと経つと、それこそ「小さい秋」みたいに、紅葉が地面に落ちたのを拾ったりもする。紅いモミジや、黄色いイチョウの葉っぱを拾って、いい年したおっさんがうっとりしていたりするわけなのだ(*´ω`)
この「拾う」という単純な行為が楽しい。これは本当にいい気分転換になるのでおススメしたい。今の季節、「拾う」にはちょうどいい季節で、これを逃すのはもったいない。場所はどこでもいいけれど、なるべくだったらひとりで拾うことに没頭できる所がいい。人があまりいなくて、植物が多い所だと理想的だ。
田舎に住んでいるなら、そのへんの人気のない森にでも分け入ればいいけど(熊に注意!!)、都会なら公園や、美術館や図書館の庭園がおススメ。ちゃんと管理されている庭園は、樹木の種類も豊富だから、秋になると拾えるものが多くて面白い。ドングリだけでも色んな種類が拾える。そういう場所は紅葉も見事だ。いろんな形のカラフルな葉っぱを集めるのも面白い。
木漏れ日の中を、木の実やキノコや、葉っぱを拾って歩き、疲れたらどこかで手を洗い、持参した飲み物をベンチに座って飲みつつ、拾ったものを眺めながらのんびりする。幸福です。