占いの結果はすべて起こり得る。

 

は蟹座ですが、動物としても食材としても好きなので蟹座で良かったなぁって思います(なにそれ)。まあそれはいいとして、朝のニュースなんか見てると6時55分とかに占いコーナーが始まるじゃないですか。家族でそれを欠かさずチェックしている人がおり、ゴソゴソと私が起きてくると一方的に結果を教えてくれるのですね。「今日、蟹座最悪。人間関係がこじれてなにやってもダメみたい。はっは。ラッキーメニューは清蒸大闸蟹だそうです」などと、いきなり視界が霞むようなことを言うのです。


たまにちょっと早く起きることもあり、その時は自分で占いコーナーをしげしげと眺めますが、正直、あれの子供騙し感ってヤバいと思いませんか。一般の社会人が一喜一憂するには、ちと情報量が少なすぎると思う
。ニュースの占いコーナーで提示されているような運勢は、一位から十二位まですべて含めて、その日にすべて起こり得る内容じゃないでしょうか。


だから、「うひょー。蟹座が一位だ。今日の世界は蟹座に寛容なのだから突如休んでも赦される」などと、ひとり勝手に喜ぶ気には到底なりません。むしろ、その日に一番悪い運勢だった方がまだ信用できる。仮に、占いがすべて真実だとして、学校や
職場においてはそれぞれの運勢を背負う人たちと交差するわけです。そんななか、自分の運勢だけを守り切るなんてことが果たしてできるでしょうか。できるわけねぇだろうがぼけ(暴言)

 

 

そういうことを書くと、「他人なんか関係ないんだよ。大事なのは自分の運勢を知ることなんだから」って思う人もいるかも知れませんが、自分の運勢ぐらいなら誰でもなんとなくわかりませんかね。例えば、今日はちょっと癖のある人に会うとなれば、前にその人とどういうことがあったかを思い出しつつ、色々と想定して構えていく感じになる。で、良くも悪くも、だいたい前にあったことと似たようなことが展開されるわけですね。


経験の蓄積があれば、ランダムであるにしろその日の出来事なんかはある程度予測できるわけで、占いに頼るよりはそっちの方が信用できるというか、私はリアリティを感じます。と、ここまで書いて、そうだ、占いって別にリアリティを求めてるわけじゃないよなって、ふと思いました。寧ろ、リアルに予想できることはけっこうツラかったりするから、自分の予測できる世界とは違う、ちょっと違うところからの言葉というかなんというか。そういうのが求められているから占いは廃れないのかもしれませんね。


まあ、占いの結果にしても、自分で想定したことにしても、心構えとして「すべて起こり得る」と考えておくのが無難かもしれないですね。逆に、今日は占いの運勢が良かったからそれに頼っていこう、というのは、そのように依存する原因となる何かがあるはずで、その引っ掛かっているものを、ちょっとずつでもなんとかすること。それ自体、その人の充実したリアルとなるのかなぁ、なんてことをなんとなく思いました。



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もっふもふのカニ。いつか見にいきたいんじゃー🦀