なにが「自然」かはその人が決める。

 

にも書いた気がしますが、私は夏真っ盛りとか冬真っ盛り(って普通言わねえな)の時期より、ちょうど今ぐらいの初夏や、9月末ぐらいからの初秋の時期がいちばん好きです。なんせ、クセが無くて単純に気持ちがいいからですね。てことで、最近は休みになると張り切ってそのへんをブラブラしており、田んぼなんか眺めてハッピーな気分になってます。ラブ&田んぼ&ピース✌️


ところで。私が愛読している、作家の森博嗣さんのコラムにこんなことが書いてありました。

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日本人は、田舎の田園風景を見て、「自然は美しい」と愛でるけれど、田園というのは極めて人工的なものである。コンクリートのビルディングと大差はない、とまではいわないが、少なくとも自然ではない。コンクリートジャングルと呼ばれる都会の風景よりも美しいだろうか? 


はい。田園は美しいです。むしろ、「自然は美しい」などと必ずしも思いません。都会の風景も美しいです。どれにしても、場所による差は生じるし、同じものを眺めても個人がどう感じるかは違いますから、そこはかなり曖昧な価値観でしょう。それでいいと思います。


ところで、田舎でロケをするようなテレビ番組で、田んぼや畑が広がってる風景を眺めた芸能人が、「うわぁすげぇ、自然が溢れてる」とか言ったりしますが、私からすると、「溢れてねぇよ。めっちゃウチの近所の光景だよ」とツッコミを入れたくもなります。ただ、自然のイメージは別に固定概念ではないので、その人がなにを「自然」と見ているかで決まるものです。田んぼを眺めて「自然だ」と思うのなら、そういう自然が存在することになります。

 

 

 

実際のところ、「自然」という言葉は、その人から距離感のある環境に向ける表現方法なのだろうと思います。普段から自然環境の中に住んでいる人が、「うわぁ、私の家の周りは自然で溢れとるわ」とか、いちいち言わないでしょう。でも、そういったものと普段は関わりのない人が遊びに来たら、「自然がいっぱいでいいとこですね〜」と感動したりする。逆に、普段は自然の中に住んでいる人が、上京したときに、「めっちゃ都会や」と感じるのも、そんな環境と日常的な距離感があるからですよね。


要するに、「自然」だとかいったところで、そこに人の手が入っているかどうかなんて、当人の認識にはさして関係がないわけです。なにが「自然」かは、それぞれの立場や経験によって、如何様にも変わっていく。私としては、田んぼも畑も「自然」に含めますね。なんせ、自然だなと思うからです。自然というのは私の中で、見慣れた光景だ、ぐらいの感覚でしかない。

 

では、そんな自然が美しいかどうかはどうやって決まるのか。それは各個人の「自信」によってでしょう。人は自分が見て美しいと感じる自信があるものを評価します。だから、美しさは一様ではなく、多様です。自然の中を歩いていて、急に太陽光パネルが並んでいるのを見て、「自然を破壊しやがって」という人もいれば、「なんと端正な配置の仕方なんだ」とかグッとくる人もいるはずです。「自然」だとか「美しさ」なんて、突き詰めることのできない曖昧な感覚で満ちた概念であり、それを定義していくのは無謀です。だから、今も世界は殺し合いをしているのですよ。

 

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