口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

行き先が被る問題。

 

ないだ、地元の公園の脇をバイクで通りがかった時ですが、ぎっしりと人がいました。とっくに外出自粛要請が出ていたのに、「密」すぎる光景でしたね。子供たちはみんなで手を繋いで一輪車に乗って遊んでいるし、お母さんたちは地面にシートを敷いて宴を開いているのです。流石にマスクをしている人はたくさんいましたが、それでも濃厚接触待ったなしであります。

 

テレビなんかを観ていても、週末の都会の公園には人がたくさん集まっているようだし、江ノ島あたりじゃ、サーファーの人たちが普段どおり波乗りしていたり、一見すると自粛もなにもあったもんじゃない感じがしてきます。でも、ああいう映像が本当かどうかもよく分からないんですよね。人の流れは刻々と変わるわけで、たまたま人の集まったタイミングの映像を流しているのかもしれないし。

 

まぁ、そんな様子をこのところ眺めていて、「結局、どこかへ出かけようとすると、みんなで行き先が被りやすいんだよねぇ」とつくづく思います。これはコロナウィルスとか関係なく、普段からそういうものなので、今こういう状況になり改めてそれが分かるということですよね。

 

誰でもそうだと思いますが、人はどこかへ出かける時に「名所」を目指します。旅行に行くのなら、○○城とか○○寺といった、著名な場所を訪れるのが基本です。また普段の生活においても、「○○公園でジョギングしてこよう」みたいに、ある管理された場所と日常の行動は、セットになっている場合がほとんどでしょう。まったくなんの名所でもない空間をうろつく趣味のある人間は、むしろ少数派ではないでしょうか(私のことですが)。

 

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この「名所+行動」というのは、その人がどこに住んでいるかによっても変わってくるのでしょう。例えば、東京みたいな都市に住んでいるとすれば、そこに存在する場所のほとんどは「名所」です。何故そこにあり、何をするべき場所かがはっきりしている場合が多く、曖昧な場所は少ない。なので、「○○商店街を散歩しよう」とか「○○公園でデートしよう」といったように、場所と行動がリンクしやすいのではないでしょうか。

 

じゃあ、田舎の方はどうなんだというと、地方でもそれは変わらないと思います。ただ、そういう名所以上に、名所でも何でもない空間が地方には多い。ただの野原みたいな場がいっぱいあります。冬場は田んぼも乾燥しているので、そこで子供たちがいまだに凧揚げなんかをしていますよ。フリーな空間が多いと、そもそも人口が大都市と比べれば少ないこともあり、ある場所に人が過集中するのを、ある程度は防いでいるのかなと感じます。

 

とはいえ、人口が少なくとも、お祭りかなにかあれば人は集まるものだし、そうでなくても公園は家族連れでぎっしりしていたりする。そもそも、人がどこかに行きたいと思うのは、出かけた先で自分と同じようにしている人を見ることで、安心できるからじゃないですか。自分が知っている人じゃなくてもよくて、ただ人がいるだけでいい。他人がそれぞれ自由に過ごしていれば、それを眺めている自分もそこに居ていいような気分になる。これが大事なんじゃないかなぁと思います。

 

今は外出自粛だと言われてしまい、その欲求が満たしにくくて不安になる。だから、いざ出かけるとなると、感情的にその揺り戻しが来て、いっそう人が集まってしまうんじゃないか。と、私は思っています。これを解決する方法っていうと、うーん、やっぱりネットに自分の場所をつくるとかなんでしょうか。偉そうなことを長々書いておいて、なんかフツーの結論になってしまいました(笑)。

  

tsurumitext.seesaa.net

↑このあいだ、鶴見済さん主催の「不適応者のオンライン茶話会」というものに参加しました。オンラインミーティングソフトを使用し、ウェブカメラでお互いの顔を眺めながら、現状報告的な話を軽くしました。人と顔を合わせるだけでも、安心感が得られますね。こんな時だからこそ、ネット上で「密」になるというのもいいんじゃないですかね。