口から出まかせ日記【表】

うがい、手洗い、納税。

駅伝中継と老い。

 

日の日曜日。ちょうど私の地元で「東日本女子駅伝」をやっており、かっぱえびせんを摘まみながらテレビ中継を観てました。

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馴染み深い風景の中を、選手たちが頑張って走ってました。途中、私の職場の近くも通りがかり、普段から行き慣れているお店や神社などもチラッと映像に映りました。道端の観戦者はちらほらという感じ。犬がなんかめっちゃ興奮して、飼い主の足元でぐるぐるぐるぐる、お前は発電機かってぐらい回転してました。


選手たちはあっという間に街中を抜けて、気付くと風景は、田んぼに畑に用水路。時おり、ラブホの看板、廃棄物処理場の錆びた入り口、褪せた脳神経外科の病棟、潰れたうどん屋なんかが映像の中をスクロールし、どんどん奥に消えていくのです。私より十歳以上若い子たちが、どこか退廃した田舎の光景の中を必死に走っていく。ああ、眩しい。


ここ五年くらいの話ですが、マラソン競技をよく眺めるようになりました。特に駅伝はテレビでやっているとよく見ます。特定の選手のファンというわけではないし、地元チームの順位が何位であっても、あんまり気にしません。たぶん競技感覚では見ていないのだと思います。なんというか、ある種の「VR映像」として観ている感じかもしれません。


選手たちが画面の手前に向かって走り続けるあいだ、風景が常に変化を続けます。大きなビルが立ち並ぶ街中を走っていたのが、だんだんそこから離れて、路肩の建物も印象が変わってくる。大きな橋を渡った先から風景は一変して、海や山並みが見えてきたりもする。そういう刻々と変化する風景のグラデーションを眺めるのがクセになってきます。ぜんぜん飽きません。

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流れていく風景の中で小さな発見があるのも面白い。珍妙な名前の店とか、変な形の建物とか。その土地の名物の書かれた「のぼり旗」が風にひらめいていたりして、ありゃなんだと気になり、その名物を後からネットで調べたりもよくします。選手たちが走っているコース自体の風情を気に入って、後から思い返してグーグルマップのストリートビューでもう一度辿ってみたりとかもある。我ながらなかなか念入りなんですよ笑


いってみれば、私の代わりに誰かが移動してくれていて、その移動に沿って風景が流れているわけですが、私はその光景を「風景のカタログ」として鑑賞し、そこから自分なりの楽しみを引き出しているということでしょうか。そう考えてみると、あらためて思い起こされることがあります。そういえば、私の祖母や祖父、また年配の親戚の家などを訪ねたときは、皆よくテレビで駅伝中継を眺めていましたね。


子供の頃は駅伝なんて観たところで面白くないし、存在自体が意味不明でしたが、いま考えれば、駅伝が面白くなるかどうかは「老い」と関係が深いんじゃないかと思うのです。自分が歩かない代わりに、誰かが早くもなく遅くもないスピードで移動していて、風景が流れていく。それを眺めて、自分が移動したかのように満足する。もちろん選手の頑張りを見るのも一興であるが、根本の部分は、誰がが移動するとともに風景が移動する体感を、疑似感覚として捉える楽しみがあるのではないか。だからこそ、老いが募り、自分で動けなくなればなるほど、この疑似感覚に依存するのではないのか。


そういや、コロナ禍の中でなかなか出かけられない鬱憤を晴らすために、「VR旅行」みたいな企画が色々と世の中に現れましたが、これって結局、「自分から動けないなら疑似感覚で我慢しましょう」というわけで、駅伝中継の疑似感覚と似ているような気もします。なんか、コロナウィルスのせいで我々は一気に「老化」させられてしまった気もしますね。コロナ禍終息に向かう過程で、徐々に若返ることができるのか、一度老化したら「若作り」はできても、再生できないのか。どうなることやらです。


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最近、自分でもなんの曲聞いてんのかさっぱり分からない。