暑さ寒さも彼岸までとかいう死語。秋のお彼岸というと九月の二十日あたりですが、もっと先の十月の二十日くらいでようやく涼しくなりかけるのが昨今というものです。てことで、あと丸二ヶ月はなんやかんや暑いわけですから、暑さ対策は各自気を抜かずにやっていきましょう。世間体やモラルなんかより暑さへの順応が最優先です。ふんどし、マイクロビキニ、全裸等で娑婆を闊歩いたしましょう👙
それはいいとして、私は七月生まれですが、夏生まれというと「暑さに強い人」という先入観を植え付けられがちではないでしょうか。私も親戚のおばちゃんに、「ほしちゃんは夏生まれだから夏に強い子だねえ」とかなんとかおだてられて育ちましたので、自分でもそうなんだと思い込み、生まれながらのポテンシャルを発揮できる夏こそ自分の季節、だから大好き。みたいな感覚だったと思います。
現在はどうか。夏の雰囲気や風物詩などは、もしかしたら昔以上に好きかもしれません。しかし、自分が夏に強い人間だなんていう自負はすっかり消えました。それどころかどんどん生き物として弱くなってるとしか思えない。なぜ子供のときは蝉を生きてるまま捕獲し、ポケットの中に入れて連れ帰るなんてことができたのか。今や自宅の玄関前に蝉の死骸が数匹転がっているだけでも恐ろしく、つま先でチョンとつついたら死んでなくて急に飛んだりするたび、ちいかわみたいに叫びまくっている有様です。世界はもっと私に優しくしろ。

ところで、外を歩いてると男性でも日傘を使っている人をそこそこ見かけるようになりました。意識の変化が進んでいるのは良いことです。一方で、日傘そのものへの偏見の強さも散見しますが、暑さに強いという自負がある人からすれば、日傘を差す人は「暑さに負けた人」と映るのでしょうか。私からすれば、「あなたもとっとと負けてラクになれば?」と微笑みかけたいところです。
暑さに限らず、寒さやその他諸々、体や心が蝕まれる状況に人一倍耐えることができる。その性質に優位性を感じつつ、自分を基準にして物事の優劣を定める。そういった感覚の落とし穴とは、当人の耐えているその基準が、生理学的、倫理的に危険域に踏み込んでいるのが明確な場合、自身に対する立派なセルフネグレストになるし、他人に強要すればハラスメントになります。見る人が見れば、なにを好き好んでか知らないけれど、自分や他人を積極的に虐めている奇妙な人に映ることでしょう。
だいたい、他人の暑さ対策なんかを貶める人は、自分が耐えていることに他人が耐えないことが不満なのでしょうか。自分がツラい思いをしているのが不公平だと言っているのであれば、自分にもっと優しくすれば良いだけの話。ラクになることが軟弱に感じて苦しいですと? ならば記憶を呼び覚まし、貴方に自信ではなく呪いを与えた張本人を突き止めなければなりませんね。頑張ってください。ちなみに私も日傘は持ってますが、なんとなーく手の塞がれるのが苦手で、差す機会があんまりありません。ドローンなんかがずっと隣で日傘差しながら付いて来てくれると良いんですけどね⛱️
TORRES(トレース)というシンガーソングライター。90年代インディー・ロックみが強くて私の好み。