口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

おすそ分けのつらみ。

 

が住んでいるあたりは、そこらへんに果樹園があり、果物をたくさん作っています。桃とか梨とかリンゴとか、夏から秋にかけては果物のオンパレード。その中で出来のいいものは、東京や上海の市場に送られます。地元の人間はちょっと傷が付いたり、小さい穴が開いてるのをよく食べます。


最近、父親が知り合いから桃を2ケースも貰ってきました。少し傷がついたりしている、いわゆる「くず桃」ですね。味は一級品とそんなに変わりません。「げへへへへ、桃じゃ~い」などと言いながら、家族みんなで舌鼓を打ちました。


が、毎日桃が続くと、いくらおいしくても飽きます。やっとこさ1ケース分食べたんですが、まだあと1ケース残ってます。そのまま食べるのは飽きたので、コンポートにしようかと思ってるんですが、どうにもめんどくさくて放置しているという、贅沢な話です。


誰かにあげたらいいじゃんと思うかもしれません。が、そもそも近所の人だって似たようなもので、他人から余った野菜やら果物を押し付けられやすいのです。桃は足が早いので、無駄にしたくないなら、さっさと食べるか調理するしかない。で、ようやく消費できたと思ったのも束の間、また誰かしらから「桃あげるよ~」とおすそ分けされるのが、桃の産地あるあるです。

 

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おすそ分けというと素敵なイメージを持つ人もいるでしょう。私も否定する気ないですが、おすそ分けをする強い動機として、「もうこれ以上食べたくないから」という感情もあるのだと思います。畑で大根ばっかり生えて、家でそれを毎日毎日食べてたら飽きますよね。でも、せっかく取れた大根をただ腐らせるのは忍びないので、「おすそ分け」という形で他の人に渡すのです。


おすそ分けをする本人は、それでとりあえずホッとする。でも、誰かにおすそ分けをしたという事は、「おすそ分け返し」を受けなければならなくなる。よりによって、食べ飽きているのに、他人が育てた大根なんかを貰ったりするわけです。でも、「うちは大根余ってますから要りません」とは、なかなか言えないものです。


それはもちろん、おすそ分けをしに来た相手の本音が分かるからです。「いつもお世話になってるからね」なんて言いつつ、(俺だっていつも同じもの食べたくないんだ。そこんところを分かってくれ、頼む)という心の声が聞こえるのですよ。おすそ分けにいちど手を出した以上、持ちつ持たれつで共依存気味となり、その輪からなかなか逃れられなくなりがちです。


玄関先に棚を設置し、そこに余った野菜なんかを並べて、「ご自由にお持ちください」なんて書いて放置する「無人0円ショップ」をやってる御宅も見かけます。聞いた話ですが、人からおすそ分けされた野菜や果物が食べきれないから、袋に詰め替えて棚に並べてたりもするらしい。ああ、今日も静かな攻防が繰り広げられております。