梅雨入りしたようですが、毎日カンカン照りでございます。外へ一歩出ると、湿気と熱が体にまとわりつく不快な暑さ。リュックサックを背負ってると、ハーネスに沿っていちいち汗染みができちゃったりして嫌なので、鞄みたいに片手に吊って歩いてますよ。んなら始めから鞄にしとけって話ですが。
ああ、毎年暑さがしんどくなるたび、「うぉぉ、理想の夏に行きたいよぉ」って吠えたくなります。あるじゃないすかぁ。ビールやら蚊取り線香なんかのCMでよくありそうな夏。透明感のある日差し。湿気の無い清潔な暑さ。カラッと乾いたクリーンな夏。そういうところに誰か私を連れてって下さいよ、って思うのです。
誰も連れていってくれないのなら、自分で行くほかありませんな。でも、どのあたりに行けばそんな理想のCMのごとき夏を満喫できるのだろう。うーむ、なんとなく瀬戸内あたりは夏でも湿気が少なくてカラっとしてる気がする。となると、適当ですが山口県の宇部市あたりがベストなんじゃないですか。ちなみに宇部市についてはなんも知らん。宇部市に詳しい人は是非コメントをくださいね。
とはいえ、暑さも案外儚いもの。またそのうちすぐ秋になり冬になり、今度は「寒い寒い」と連呼するようになる。そのころには夏の暑さの感触などすっかり忘れていて、素麺とガリガリ君を交互に食べたりとか、庭の隅で線香花火をしていたらキイロアシナガバチに刺されるとか、そんなどうでもいい記憶だけは末永く覚えているものです。
ここまで書いててふと思いましたが、人の記憶なんてそれこそCMみたいなもんじゃないですか。良い記憶も悪い記憶も含めて、自分が理解しやすいよう色々と端折りつつ、効果的な部分だけ保管しておく、みたいなところがきっとあるんでしょうね。その編集部分で省かれる要素に、体感的な温度もある程度入ってくると思うのです。
なぜ省かれるのかといえば、記憶の完成度が高いまま保存されると、当人に負担がかかるからでしょう。思い出すだけで、じっとりとした梅雨の暑さを再体験し、自分ひとりだけ滝のような汗をかいている。そんなん嫌じゃないですか笑。同じように、痛みや苦しみも、思い出すことで同じような体験を引き起こさないよう、オブラートに包まれて記憶されている。
とはいえ、記憶しているイメージから、「あのときは確か暑かったよなぁ」とか思い出すことは、なんとなくできます。いや、思い出すというより、記憶に残る場面に合わせて想像することができる。森に虫を捕まえに行った記憶があれば、夏の森の中だし、たぶんすごいじめじめしてただろうなぁとか考えるのは簡単です。思い出すたび、気温などのイメージを付け足す編集をして、我々は都度、新鮮に記憶を思い返そうとする。
その回想も、実際に過去の記憶と同じ季節にいることで、いっそう身に染みてくるような気がします。夏特有のノスタルジーってありますよね。自分がいま感じている暑さを、過去の自分も同じように感じて生きていた。そう感じられるとき、記憶は過去へ幽閉されたものではなく、今の自分と地続きのものであると実感できる。同時に、そんな暑さの中で立ち尽くしているそばから、自分が過去になっていることも強烈に実感するのです。
ピンときた人もいるでしょうが、今回のタイトルの元ネタ。