天気予報を眺めると、7月に入っても晴れ間がほとんどない。日本列島は水没。沖縄だけに太陽が降り注いでいる。沖縄だけが希望なのか。そうだ、沖縄に行こう。5万円くらい懐に入っていれば、沖縄に行って帰ってこれるぞ。
ところで、沖縄には一回だけ行ったことがある。今から20年くらい前、石垣島に4日ぐらいいましたが、そのへんに生えている雑草からして見慣れないものが多い。食卓に並ぶのも、南国の果物やら、歯がギザギザした魚(ダツかな?)の刺身やら、全然みたこともない食材が並ぶのです。
当時小学生の私には色々と刺激が強すぎたのか、「プチ鬱病」のようになってしまいました。凄まじいほどの青空の下にいるのがしんどくなってしまい、「海岸で地引網をやっているから見に行こう」とかいわれても、車の中でじっと体育座りをしていました。沖縄では悪い思い出も多いんですが、こうやって書いていると、沖縄に行ったことのない人にとっては自慢に映るのかもしれない。
私は自慢話が悪いと思っていません。他人が自慢話のようなことを話したり、書いたりしてるのも、どっちかといえば好きな方です。某アパレルサイトの社長がSNSで自分の生活を投稿したら炎上したという懐かしい話がありますけど、滅茶苦茶お金がある人ってこういうことに使うんだなぁと分かって、私は面白かったんですが。
他人の自慢話から得られるものって、結構多いと思うんです。なんせ、良くも悪くもその人の生活と密着しているわけで、垣間見れるものが多いです。そして、表面的な明るい部分だけでなく、裏の面がにじみ出てくると、なお面白い。
物凄いお金持ちが、自分の生活を自慢している。それに嫉妬するのは、表面しか見ていないからです。そもそも、この人はどういう経緯でお金を得ることができたのか。なぜ数多くの車からこの車を買ったのか。壁にかかっている絵は誰の絵なのか。着ている服は誰の服なのか。そもそも、ここは本当にこのお金持ちの自宅なのか、映像とか画像に写っていない箇所はどうなってるんだろう、等々、推理や考察する要素が多くて、面白いと思いませんか。
自分から自慢話をする利点としては、共感が広がっていくと同時に、自分と釣り合わない人間を避けるためのフィルターとして機能するという事です。裕福な人が自慢をすれば、裕福な人同士で共感し、不幸自慢をすれば、不幸な人同士で共感する。そして、同じ属性同士で結び付きあい、そうではないものを受け入れずに弾くようになる。自分たちの過ごしやすい世界観が確保できるということです。
この閉鎖性はマイナス面でもあるんですが、すっかり浸透したSNSの特性もあり、普通になっています。みんな、自分の居心地の良い世界に居たいんです。その中ではルールに則って、いくらでも自慢することができますしね。
でも、ふとニュースなんかで、自分の世界観とは異質のものに触れると、とたんに拒絶感や嫉妬が現われてくる。それは、自分の知りたいものしか知りたくないという態度の、副作用として出てくるわけです。つまり、他人の自慢話は、人によっては良い薬にも成り得ると思うんですが、どうでしょうか。