口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

ひきこもりの定義がひきこもっている。

ないだ、きな粉もちを食べながらニュース番組を観ていたら、NHKだったか民放だったか覚えていないんですが、「深刻な中高年のひきこもり問題」みたいなものをやっておりました。「その数○○万人」なんて数字がドーンと画面に出て、それから案の定、厚生労働省によるひきこもりの定義」なんてのがいつも通り画面に現れたわけです。

 

その時に考えたことを今回の記事にしようと思い、ひきこもりの定義なるもののソースを軽く調べていたんですが、なんだかよく分からないんですよ。

 

www.mhlw.go.jp

 

↑まず厚生労働省で規定しているひきこもりの定義を調べるとすぐ出てきます。「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅に引きこもっている状態」だそうです。三つの状態があり、それが同時に当てはまれば、ひきこもりの定義に合致する。どれかひとつでも当てはまらなければ、厳格にはひきこもりではないようです。しかし、めんどくさい事にこれとは別に「ひきこもり群」というのがあるらしく、これが「広義のひきこもり」と呼ばれ、これにもまた定義があるわけです。

 

snabi.jp

 

上のサイトから引用すると、

「ひきこもり」群の定義は、6ヵ月以上にわたって<趣味の用事のときだけ外出する><近所のコンビニなどには出かける><自室からは出るが、家からは出ない><自室からはほとんど出ない>状態とされました。

 

と、あります。そして巷では「狭義のひきこもり」も「広義のひきこもり」もごっちゃになっていて、グーグルで画像検索をすると、なにがなんやらよくわからないことになる。

 

 f:id:star-watch0705:20191209095101j:plain

 

自分のことを振り返ってみると、広義のひきこもりの定義である、「趣味の用事の時だけ外出する」とか「近所のコンビニなどには出かける」なんてのは、十分あてはまると思います。というか、便利な生活の恩恵を受けていれば、誰でも当てはまりませんか、これ。

 

時代の流れとして、外に出なくても自宅においてあらゆることができるようになっています。映画館に行かなくてもネットで呆れるほど動画を堪能できるし、外食だってウーバーイーツで届けてもらえばいい。買い物もAmazonオンリーで済ませている人もいる。外の世界にあった様々なものが自宅に引き寄せられています。かつて、外に出かけるための理由に成り得たものの多くは、すでに住環境と一体化しているのです。

 

となると、外に出る理由というのは、今後はますます趣味性の高いものになるんじゃないでしょうか。ランニングといった、ある一定の目標と、それを達成するタスクが組まれた綿密なものだったり。または写真撮影といった芸術性の高いものだったり。あとは、車やバイクといった「大人のおもちゃ」を乗り回したりなど。

 

今のように便利ではなく、何をするにも外に出かけなくてはいけなかった時代は、目的地に行って戻ってくるまでの間に、趣味とは関係のない時間がありました。そこに生活の彩りや、自然な楽しみがあったとも思えます。それは否定できるものではないでしょう。

 

ただし、それぞれの時代には時代の側面があり、その時代に合わせた人の生活がある。広義のひきこもりの定義の一部は、すでに今の時代に合致しないのではないでしょうか。時代に合致しない定義とは、独裁政治下では効果的ですが、日本は民主主義国家です。最近はめっきり寒くなってきたのでなるべく出かけないで、家でネットを眺めたりゲームをしたり、こたつに入ってLINEをやったりしている人が多数派なのです。

 

定義を作る人こそ、自分の世界観にひきこもらないでください。実態を観察するべきです。はっきりいって家に居た方が世界とつながります。私はYouTubeで世界各国の民族楽器の動画を観るのが好きなんですが、興味と見識がどんどん広がっております。また、Quoraという、知識の共有サイトがあるんですが、世界各国のあらゆる見識者の面白い意見を眺めることができ、時間をつい忘れてしまう。あのね、逆なんですよ、家に居るとひきこもれないので、たまに外に出てひきこもるんです、私は(笑)。

 


アボリジニーのディジェリドゥ演奏

 

↑この「ディジェリドゥ」って楽器。わたし、気になります