ブログといったら、だんだんPV数が増えてくると同時に増えてくるのがアンチコメントでしょう。いや、どんな領域だろうと注目を浴びれば、アンチ的なものが出てくるのが普通だから、もはや自然現象と捉えた方がいいんでしょうか。ブログによっては、アンチコメントとの攻防をそのまんま記事にしている方もいたりして、けっこう勉強になることも多いです。
私のブログに関していうと、アンチコメントが来たことは無いです。いや、私がアンチコメントだと理解してないからかもですが。でも、もうかれこれ一年以上ブログをやっているわけで、分かりやすいベターなアンチコメントの一通ぐらい来てもおかしくないのに、不思議です。コメント欄はいつも温かい平和な雰囲気が保たれています。愛のなせる力ですかね。神様ありがとうございます(?)。
話がちょっと変わるんですが、自分は元介護士なので一応、介護現場の現状が気になります。それで、Twitterの方で介護関連の情報を提供している人のアカウントをいくつかフォローしてます。その中には職場の不満などを切実に訴えている人もおり、同情的な反応がある一方で、いわゆるアンチ的な反応もあります。
そのアンチ的な人に対して、本人が返答するツイートがタイムラインに流れてきちゃうんですが、その内容を眺めていたら、何とも言えない感じがしました。内容をボカシて簡単にいうと、アンチに絡まれたその人は、いわゆる「備忘録」としてTwitterを使っており、仕事上で感じたことを忘れないうちにツイートしていると。そして、あくまでもこれは「備忘録」なのだから、私の邪魔をしないで好きなようにツイートさせてください、という風に訴えていたわけです。
まず思ったのが根本的に、デリケートな文章ほどネット上に晒すのは危うい感じがします。これは言ってみれば、人通りの多い通りの電柱とか壁に、自分の心の声を書いた紙を張り付けているようなもの。通りがかった人が当然それを見ます。無視する人もいれば、立ち止まって眺める人もいる。中にはそれが気に入らなくて、上に落書きをしたり破いたりする人もいるでしょう。
どんな人が通り、貼られた文章をどう感じ、どういう行動をとるか。貼った本人には選別できません。特にTwitterみたいにネット上のインダス川的なところでは(このたとえ合ってますか?)、自分に好ましいものだけが流れてきたらいいなんて都合のいい感覚は排除し、どんなものが流れ着こうと、最初から覚悟しておくしかないんじゃないでしょうか。
ただ、それとは別に、「自分の思いとか考えを誰かと共有したい」という人の気持ちは、ぜひ汲んであげたいなと私は思います。寧ろそれが一番の目的だから、人の反応が見やすいところに敢えてメッセージを残しているんでしょう。そうすると、確かに乱暴な拾い上げ方をされることもある一方で、大切に拾ってくれる人もいるはずです。良い拾われ方をすると、ここに載せた甲斐があったなと感じられますからね。
それから、拾われるだけじゃなく、自分でも良いものを探して拾っていくのは大事だと思います。はてなブログもまさにそうで、「これはいいブログだ」と感じたものを、登録したりブックマークしたりして積極的に拾っていくことで、拾った者と拾われた者同志で輪ができていく。
こうなることで、無秩序な悪意のようなものから、ある程度は守られる部分もあるんじゃないでしょうか。少なくとも、攻撃する対象を追い求める人の習慣を真似しないことで、自分がアンチな人になることだけは避けられるでしょうね。