もういくつ寝ると、お正月。どころか、すぐに豆まき、ひな祭り、悪化する花粉症とともに桜が舞い散り、やたらに暑いゴールデンウィークがきて、梅雨入り、お盆ときて、「ようやく涼しくなったねぇ」なんて紅葉を愛でていると、急に北風が吹いて小雪が舞いはじめる。で、もうすぐ年の瀬じゃないですか。いったい何年このパターンやってんですかと呆れてしまいます。
とはいえこの、落ち着かないまま今年も慌ただしく過ぎていく感じ、嫌いじゃないですね。四季の移ろいをひたすら身に浴びるだけでも、なにか大事な仕事をしたように感じる。とりあえず、今年も季節を満喫した上で、仕事やら遊びやらブログやら何やらがあったなぁと、静かな感慨があります。
それと、今年もいちいち酒を飲んだ一年でした。なんだかんだと理由を付けて飲んでましたね。寒いから。暑いから。桜咲いてるから。夕日がきれいだから。月が出てるから。大谷さんがホームラン打ったから。オリンピックだから。酒好きだった祖父の命日だから。なんだっていいんです。別に理由など無くとも、何かに捧げたつもりで飲むと、目に見えるものだけじゃない、なにか別の世界に通じながら飲んでいる気もして、気分がいいのです。
主に飲んでいたのは日本酒。日本酒は万能なので、夏ならば口当たりが煌びやかな吟醸酒をキンキンに冷したり、スパークリング日本酒を開けたりするのもいい。冬なら熱燗やどぶろくが美味い。日本酒だけで一年やっていけます。そういや今年、缶チューハイはほとんど飲んでません。酒の縁にも移り変わりがあるのでしょう。
酒屋さんの真っ白い蔵。心が洗われるようです。
あと、「ノンアルコール飲料」にもほとんど手を付けてません。家族がノンアルコールビールや、アルコール度数1%未満の微アルコール飲料を買ってくるので、冷蔵庫の中で日常的に見かけはします。で、飲んでる本人に、「物足りなくないそれ?」と聞くと、「物足りる」と返ってくるので、「力を失った飲み物って感じしない?」と畳みかけると、「んなこたない。なに言っちゃってんすか」と言われてしまいました。
試しに飲んでみなはれと言われ、ノンアルビールを飲んでみると、正直、口当たりや喉ごしといった、表面感覚をなぞる擬態としか感じません。体の中にアルコールが入ってくる、若干の警戒感を意識することこそ酒を飲む醍醐味だと考えているので、満足感が初めから削がれた飲み物、みたいな感じ。口当たりやのど越しを求めるなら、キーンと冷やした麦茶とかでよろしい。
みたいなことをねちねち考えつつ、すっかり飲み干してしまったわけです笑。でも、そういえばシャンメリーっていう、アルコールなしのシャンパンがありますよね。子供の頃、私はあれを飲むのが大好きでした。あとは、ぶどうジュースをワイングラスに入れて、酒だと思いながら飲むのも日常的やってた気がします。
精神的な「酒」の雰囲気で遊ぶ感覚。なにか「悟り」のようではないですか。そういえば、上質な日本酒の形容として、「清らかな水の如し」みたいな喩え方がありますが、じゃ、ただの水を瓶に入れときゃOKかといえば、当たり前ですけど飲んだ人からは「ただの水じゃねえかこれ」とクレームが来るわけです。
面白いですね。アルコールを抜きにして、「酒を飲んでいるかのような」雰囲気に近づきたい人がいる。一方で、酒を飲みながら、酒とは真逆の「清らかな水のようなもの」を求める人がいるわけです。アルコールが含まれてようとなかろうと、誰もが酒を通じて、どこか向こう岸を眺めている気がして、なんだかんだ疑似的な感じがします。
70年代のソウルとか案外、日本酒との相性はいいと思いますよ笑