口から出まかせ日記【表】

もうすぐゴールデンウィークですね(早)

ブログは元気の証明になるか。


つのまにやら世間は新年度。朝、会社に向かっていると、人混みの中に新社会人と思われる人を見かけます。どう見たって新社会人です。なんでしょう、あの新社会人的なオーラというのは。600メートル先からでも判別できます。無垢というのか、全体的に印象が軽やか。うっすら光り輝いてすらいるのです。なんか思わず拝みたくなる。


それに比して、新社会人の周りを囲む中高年達のオーラはどうよ。どよぉぉぉぉん。ぶよぉぉぉん。皆、粘膜じみた何かを纏っている。彼らだってかつては新社会人であった。当時は輝きを身に帯びていたのでしょう。それが今やどうだ。何かきっかけがあれば、途端に人であることを辞めてしまいそうな連中ばかりではないか。心の内で十字を切っておきました。


ところで皆様、体調はいかがでしょう。このところ、うちの職場では体調を崩す人が多くてマンパワー不足が続いており、毎日が戦いです。そんな私も体調が万全とはいきません。一錠飲めば一日効く花粉症の薬を、二錠飲んで無理やり症状を食い止めて仕事をしています。なにも飲まなければ、鼻からひたすら粘膜を垂れ流す妖怪でしかなくなる。人として在るために薬が欠かせません。


とはいえ、服薬すればなんとかなるし、いちおう元気っちゃ元気なんでしょうかね。しかし、この「元気」ってのが、昔からよく分かりませんでしたが、今だによく分からん。元気そうな人と、そうじゃなさそうな人はパッと見て分かりますが、だからといって「この人は元気な人で、あの人は元気じゃない人」なんて、勝手に決めつけていいわけがない。基準がそもそもありませんからね。だからこそ、自分にとっての「元気」というのは、孤独に考えていかなきゃならない概念なんだろうなと思っています。

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自分が「元気」であることを意識する、その始発点のようなのはあると思うんです。とりあえず、なにかしらの行動が出来れば、自分にとって元気の証明になるかもしれない。ただ、それがどういう行動であるのかは、ひとりひとり違うわけですよね。例えば、その人には日々ルーチンとして行う習慣があり、それが出来ているうちは「元気」なのだと捉えることもできる。


私なら、習慣的にブログを投稿できているうちは「元気」なのだと考えることができるわけです。いや、もっと正確には、「まあ、元気なんじゃないすかねぇ」ぐらいの曖昧なノリなんでしょうね。実際、今こうして文字を打っていて、自分が元気がどうかなんてさっぱり分かりません。文字が打てるほどには調子が良いかな、くらいのもんです。ただし、この現在の状態が、将来的に今と違う状態の自分が眺めた時に、ああ、当時は「元気」だったのだなぁと、そこで初めて実感できるのではないか。


つまりブログに限らず、人が日々あらゆる習慣に時間を費やしているその真理は、「自分が元気であった」という曖昧な証明を、時間差を通して実感するためだと考えてもいいのではないでしょうか。もちろん、その習慣に夢中になっている当時、そんなことは意識しない。でも、そもそも人が様々な習慣を日常の中に取り入れ、実践しようとする意識の中に、「自分のタイムリミット」が根底的に練り込まれていて、その上で自分が何をするか取捨選択している。だからこそ、若い人ほどバンドを組んだりとかするんじゃないでしょうかね。


思えば、すでに当ブログも、過去と現在の自分の違いを意識せざるを得なくなっています。継続年数四年足らずのブログではありますが、2022年の自分と、2019年にブログを開始した当時の自分とでは、すでに大きな差というか、溝があります。三年前の自分の投稿ペースを見るに、週5ペースで投稿してたんですよね。今の自分からすると、なんでそんなことが出来たのかよく分からない。当時の自分は今より元気だったのでしょうか。いや、元気とかじゃないな。きっと狂気に近い何かを纏っていたのでしょう。とりあえず過去の自分に十字を切っておきました✟

 

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