口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

歩数を測る習慣が無い。

 

末年始に暴飲暴食を重ねたせいで、どうにもこう、腹の周りに無駄なものが付きまとってる感じがして、最近よく歩いています。ナイキの「タンジュン」っていう、名前の通りシンプルなスニーカーを履き、人が溺れ死んだことのある陰気な沼の周りなんかをトコトコ歩いているのです。たまに地面に落ちている木の実なんかを拾っては眺め、飽きたら遠くへ放り投げたりしている。歩こう歩こう私は元気歩くの大好きどんどん行こうおじさんですぞ。

 

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歩くときに歩数はカウントしていません。昔、デジタル歩数計を持っていたことがあって、外出時に身につけていたのですが、自分の予想だとたぶん1万歩くらい余裕で歩いたなと満足して歩数計を見たら、118歩とかいう驚愕の数字だったりして、この世界に対する不信感が募るばかり。結局、歩数計は人にあげました。


それからは歩数に縁が無くなり、気分はとても晴れやかです。ただ、Twitterなんか眺めてると、スマホとかスマートウォッチのアプリで歩数を計測して、週単位、月単位での歩数を管理。年間で何歩達成しました~、などと報告されている人もいる。私からすると、飛行機に乗ってマイルを貯めている人となんとなく同じ匂いを感じます。何かに還元するために数値をしっかり把握しているというか。悪い言い方をすれば、縛られているようにもみえる。


別にケチをつけたいわけじゃなく、歩く行為をどう捉えるかは人それぞれだなぁと感じるのです。私は歩くのが大好きだけど、それほど主体性があるわけでもなく、木にとまって鳴いている鳥や、道に落ちているものや、風景なんかに気を取られながら歩いているだけ。歩く行為を効果的なものにしようとする意識が薄い。これも悪い言い方をすれば、彷徨っているようにも思えるし、実際そうなのでしょう

 

 

そんな私にも、歩くことに明確な効果や意味を与える機会が、そのうち来るかもしれない。たとえば何かの病気になって、体力の低下を抑えるために「一日5千歩は歩きましょう」なんて医者から指示されたりするかもしれませんよね。歩く理由に数値目標が加わるとどうなるか。これは想像でしかないですけど、私なら、むしろ張り切ってやるんじゃないかなと思うんですよ。


一日の目標が5千歩ならば、それに千歩加えて6千歩ぐらいは自主的に歩くかもしれない。毎日、時間を作って歩いて、「もう、歩かなくても大丈夫です。お疲れさまでした」などと言われるまでやるんじゃないか。なんでそう頑張るかといえば、結局、歩数を数えないで歩く日常に戻るためにでしょうね。さっさと課題をクリアしてしまって、何も背負っていない軽い状態に戻りたいと感じるから、積極的に取り組む気力が湧くというか。いやまあ、これはあくまで妄想ですからね笑。


ああ、いま書いてて思ったんですが、歩数を計測して歩き続けている人にとって、目標値を常に設定してあると、気持ちの上で安心感があるのでしょうか。1週間で5万歩とか決めておくと、歩くことに意味合いを感じるからこそ習慣が維持できる、みたいな。となると、変な言い方かもしれないですが、その人にとっては、そもそも歩くことが「不自然なこと」だから、その不自然さに馴染むために歩数という数値目標を取り込んでいる、みたいなとこってないですか。


それとも、歩数を数える習慣は後から入ってきたのでしょうか。散歩がそもそも好きな人が、自分がどれだけ歩いているのかを知りたくなって、歩数をカウントするようになってからハマるとか。なんでそんなことが気になるかというと、歩く習慣といえども、その導入には人それぞれの事情があると思うのです。それぞれの歩く行為に、その人が滲み出る。私はそこに強い興味があります。そのうち気まぐれで「散歩小説」とか書いてみたいなぁ笑。

 

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私が散歩してるときの脳内は豪華。