口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

ゴミ拾いについて思うこと。

 

気のいい日にバイクでなだらかなカーブを「気持ちええわ〜」と思いながら走っていて、カーブを曲がり切ったところの道端に、ペットボトルやらチューハイの缶、マックやらの紙袋に吸い殻のほか、よくわからない混沌としたゴミが打ち捨てられていたりすると、冷や水を浴びせられた気分になるものです。私はポイ捨てをする人に憎しみの心を抱いている。


ところで。私の住む福島県ローカル局福島中央テレビの『ゴジてれ Chu !』という番組内で、『ブンケン歩いてゴミ拾いの旅』というコーナーがあるんですが、これ、日本国民全員、正座で視聴すべしと私は主張したい。

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この番組は「ブンケンさん」こと、俳優の鈴木文健さんが、福島県内全土を巡り歩きながらゴミを拾う、という内容で始まった企画。開始から2年くらいで集めたゴミの量は7トンにもなり、歩いた距離は1,000キロを超えたそうです。


その内容がかなり凄まじい。道路沿いの土手に打ち捨てられたゴミだまりを丁寧に拾いあげて、しばらく歩くとまたゴミの散乱と遭遇するその無慈悲さ。そんな終わらない苦行をガッツと笑顔でこなすブンケンさんの眩しさよ。私はこの番組を見て知ったんですが、道路脇の茂みにお茶のペットボトルが中身入ったまま捨ててあったりじゃないですか。あれ、お茶じゃないんですね。中身は人の尿です。そういうのもひとつひとつ拾いあげて、結果、ゴミ袋の中身が尿入りペットボトルで満たされるという壮絶な映像を見られますよ。

 

 

このブンケンさんのゴミ拾いにはサポーターが集まります。通りがかった人から飲み物や食べ物のお裾分けがあったり、地域の人たちと力を合わせてゴミを集めたりなど、温かい協力の縁が広がるのは素晴らしい。しかし、ブンケンさんをはじめとして、ゴミ拾いに参加した人たちが、拾ったゴミを「希望のカケラ」などと称して、活動を精神的に昇華させることでモチベーションを維持している姿を見ると、勝手ながら、どこか暗澹とした気持ちにもなってくるのです。


つまり、誰かの尻拭いをする行為を、意識的にポジティブな行為に転化して解決してしまうと、尻拭いをさせた側はその態度や行動に依存するので、結果、状況はいつまでも変わらないのではないかと私は感じてしまう。むしろ、ゴミ拾いという行為を美化せず、誰かの尻拭いをしていることを毅然とした態度とともに告発し、社会的にプレッシャーをかけるほうがむしろ効果的ではないのだろうか。


まあそうしたからといって、ポイ捨てなどの問題が円滑に解決しないのは承知しています。尿入りのペットボトルを道端に捨てた誰かは、もしかしたら長距離の運送業に従事していて、やむにやまれずそうするほかないのかもしれない。ならば労働環境を改善しなければならないし、もっと拡大すると、便利な日本社会のフレーム自体を変えて、多少の不便を我々が受け止められるかどうかにもつながってくるのだと思うし。ちなみに昔、ウチの裏庭に車のタイヤがポイ捨てしてあったことがあり、ブチギレながら中古屋に持っていったら2万で売れて笑顔で帰ってきたことがあります☺️

 

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「ゴミ」という名を冠するバンドといえば、ガービッジ