人格を語ると人格が増える。

 

知事選はどうでしたか。私は「うわやっぱこうなるかぁ〜」って感じでした。ていうか、誰の顔を見てもなにかが良くなるイメージが浮かばないし笑。それはそれとして、今回初めて投票した若い人もいるでしょうね。各立候補者の言葉をよく聞いて、これだと思った人に投票する。それができたらとりあえず立派ですよ。しかし、このくそ暑いなかみんな投票に行くわけなんですから、こんどやる時は投票所にビールサーバーと冷えたジョッキぐらい置いて然るべきですわ🍻


ところで、選挙期間中どころか終了後も、SNSでは各立候補者に対する性格分析というのか、もはや人格攻撃レベルの投稿が相次いでいて、タイムラインを眺めているとゲンナリしてきますね。まあ、これは候補者の言動や行いが原因でもあるので、一方的に加害されているとも言い切れないのですが、それでも、ちょっとした言動や態度の一々をあげつらわれているのは気の毒に感じます。


ただ、色々と言われているその当人は寧ろ好都合だと考えるかもしれません。たとえ悪評であろうと、数に置き換えてしまえば単なる評価数です。悪評は無名に勝ると言いますし。あと、人格について他人に語られることは、「この世に自分の人格が増える」ことと同じです。名を売りたい人にとって、それは自分に代わって宣伝の仕事を勝手にしてくれるようなものでしょう。ディスったつもりが、実はその相手にラクをさせているのかもしれませんよ。

 

 

考えてみれば、人格とは生きた人だけが語られるものではなく、死んでから何千年と経った人ですら、成し遂げた業績とか記録などから人格を想像されて語られるもので、なんなら映画化されたりアニメ化されたりもしますよね。フィクションであったとしても、それは時を超えてこの世にその人が出現するのと同じことです。

 

本人がこの世にいなくても、第三者がその人に関する情報から分析して、人格を語り出すことを止めない限り、その人は存在し続けることになります。面白いと思いませんか。人から語られることなく生きている人よりも、人に語られ続ける死者の方が、生者よりも強く人格的に存在感を示し、その辺をうようよしているわけです。となると、死ぬってなんなんだよって感じになりますが、今回はそんな難しい話はしたくないっす笑。

 

とりあえず、人が誰かの人となりについて語るたびに、新しい人格がポコっと生まれて独り歩きし始めるわけで、そうやって人格が生まれ続けていけば、その人格をもつ当人の命が廃れても、その人の人格は延長していき、語られ、へたするとバズったりして、永遠の命と話題性をもつのと同義になる。ていうか、自分が好きな死者を語るところから生きた人間関係が始まったりもする。みんな、死者のお陰で生きております💀


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Julee Cruiseがとっくに亡くなっていたことを知り衝撃を受けている。『ツイン・ピークス』のテーマ曲を歌っていた人。