口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

座り心地もアウトプット。

 

子に胡座をかきながらブログを書いております。私の祖母が生きていればきっと叱咤されていたことだろう。さらに思いを馳せれば、いまこのとき、世界では座布団に座る人もおり、戦闘車両に座る人、岩や丸太に腰を降ろしている人もいるであろう。自分、いつも空気椅子でブログ書いてますっていう、下肢筋力が無駄に強靭な変態もいるかもしれない。みんな好きに座って生きろ。


ところで、私の中で年々、「ちゃんと座りたい欲」が高まっている感じがします。座り心地に貪欲になってきている。オープンしたカフェがあると聞けば、とりあえず一度は試しに入ってみたりします、内装はオシャレだし、メニューもまあまあいい感じ。しかしながら、肝心の座り心地がどうにも狭苦しくチープな感じがして、そのあと一切リピートしないなんてこともザラにあります。


逆にいうと、なんとも座り心地のいいお店ほど印象に残りますし、自然と足が赴くようになる。そうして、上品な時間を過ごした感覚の余韻を心に残す、椅子やソファやベンチなどが、津々浦々に点在するようになるわけです。どこかへ座れば座るほど、自分の痕跡がこの世に増えていく。たまたま、かつて自分がよく座っていた場所を通りがかったりすると、なんとも言えない奥深い気持ちになりますね。

 

 
座り心地に余裕のあるカフェが好き。

話を少し変えると、座り心地といったものも、経験から成り立つものではないかと思っています。上品な座り心地を体験した人ほど、自身の生活環境であったり、経営する店舗の内装などにも影響が出るものではないでしょうか。椅子やテーブルの質や、デザインにこだわり、それらの位置を試行錯誤してみたりだとか。客の立場だったときの体験を元にして、自分の管理する環境下で理想を求めるようになる。それって、つまり「アウトプット」ではないのか。


インプットとアウトプットというと、テキスト文化的な用語の印象があり、実体的なものに応用する言葉じゃない感じがするけれど、外部情報による経験を束ねて色々と混合したものを、また外部に自己表明するということなのだから、インテリアの取捨選択や、空間利用の仕方にも、インプットとアウトプットの関係性が成り立つはずでしょう。質の良いインテリア、巧みな空間利用。そういったものを体験することで、その人の中で快適さに関するイメージが蓄積されていく。


それがある段階に達したとき、自分で店舗を経営したくなったり、そこまでいかなくても、部屋の模様替えをしたくなるものなんじゃないでしょうか。このように、人間には快適さに対する妄想が渦巻いているから、なんとなくニトリなんか寄ると、たいして買う予定もなかったはずなのに何故か店を出るときにパイプ椅子を両手に持って出てきたりするものなのですよ。そうして結局、使い道が無いままのパイプ椅子が、いまこうしてブログを書いている私の部屋の角で埃をかぶっているわけです。誰かパイプ椅子いらんか?

 

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キースしかちゃんと座ってねぇ。