こないだ、ChatGPTというか生成AIについて記事を書きました。
改めて読み直してみたら、なんだこの錯乱したような文章は。AIに添削して貰えば良かったかと今更思うばかりですが、そんなこんなで今回もAIに触れていこうかと。そうそう、ブルームバーグのサイトにこんなコラムが載っていたんですよ。
23歳の大学院生、エジソンさんという方が、AIを日常的に使うようになってからの心理的な面について告白されているのですが、AIとの二人三脚で生み出した成果とは裏腹に、ご本人は徐々に自信がなくなって、空虚さを覚えるようになったそうです。それで試しにChatGPTの有料プランを解約。「AI断ち」をして仕事してみたところ、
すると、わずか2日で仕事の成果が目に見えて上がり、奇妙なことに、生産性も高まったと感じたそうだ。「働いているという実感が戻ってきた。自分で計画を立て、考え、文章を書いている」という。
のだそうで。効果覿面。あとなんていうか、AIが人から何を搾取しているか、このあたりに詰まっているように思えませんか。要するに、「自力」を信じることの効力をAIに奪われていたって話ですよね。AIに頼れば、今まで以上に仕事は問題なくこなせるし、成果も出せるけど、それと反比例して自分の能力を信じられなくなり、自信が萎んでゆく。なかなか恐ろしい「症状」じゃないですか。
上の記事では「インポスター症候群」についても触れています。
本人の実績と自己評価に矛盾が生じる心理状態のことだそうですが、AIの力を借りることで、状況的にインポスター症候群を引き起こしやすくなるわけです。自分の能率を超えた成果を得ることで、実力との齟齬が発生する状態を抱えることになり、やがて、自分には何ができるのかがよくわからなくなってくる、と。これって自我の喪失と同意ではないのでしょうか。もしかしたら、今後は自分の能力に立脚したアイデンティティ自体が不要となっていくのかもしれない。
画像は基本自前で用意する主義です。
なんていうのはだいぶ飛躍した話ですけど、AIによるフィードバックを意識的に切ることは、今後のライフスタイルには必須ですかね。それはもちろん、自信につながる「自力」の保護のために。AIに頼ればいい感じの文章も絵も簡単に出力してくれるけど、自分にとって強い存在意義に通じるものは、AIに踏み込ませず、自己研鑽のみで取り組むことが、新たなプライバシーとなるのかもしれない。
ただ、それができる範疇は、人により条件格差が生じるわけでしょう。私みたいな単なる一般人が、普段の仕事においてAIのフィードバックを採用するかしないかというのは、個人ではまず決定権を持てない。会社から「AI使え」と言われたら使うほかないのですから。これがアーティスト性のある職業なら、仕事でAIを使うかどうかの自由裁量も効くのでしょうが、自分の存在意義を損なわずに何かを創造したいという願望は、ほとんどの人の場合、趣味の領域で叶えることとなる。
その趣味にも色々あるわけじゃないですか。じゃあ、どれを自分の力だけでやっていきましょうかねぇ、というわけです。AIを使わずにやっていく「縛りプレイ」をどれに採用しますか、みたいな話ですわ笑。まあ、私は少なくともブログは自力でやっていこうと思います。キーを叩いて文章を紡いでいく体感的な部分は無くしたくないです。ここが欠けたら、きっと私は自信を喪失して気が狂い、とりあえず全裸となりコンビニで軽自動車税の振り込みをしようとして通報されるぐらいの自信はありますよ👮🚔
私の推しバンド、NewDadの新譜がいい感じです。