口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

「メタ可能性」としての生活リズム。

(5月頃に一度投稿したものです。最近は梅雨だからか、生活リズムが整っていても、そこはかとなく体の調子が悪いです)

 

★★★

 

無職ですが、生活リズムは安定しています。朝7時頃には起きて夜の11時には布団にもぐっています。午前中はもっぱらブログを書いたり、ネットを眺めたり、本を読んだり、勉強をしたり、掃除やら洗濯やらを済ませています。午後からは、気分が向いたら出かけることもあるし、そうじゃなければ、今後の計画を練るなどして過ごしています。

 

こうして文章にすると、あまり楽しそうな印象が湧いてこないかもしれませんが、実際はそこそこ満足して生活しています。特に、午前中にブログを書き終わると何とも言えない幸福感がありますね。そのあと何をするにしても、幸福感が静かに持続していく感覚があります。

 

生活リズムが安定することで、健康面や精神面でのベースの部分が整うからか、大きな体調の崩れもないし、落ち込んだり怒ったりといったテンションの変化も少ないです。かといって気楽というわけでもない。不安要素がいくつもあります。でも、それが将来性であり、可能性とも関係があるわけで、しかも潤沢な時間をその解決のための思案や計画に使えるのだから、これ以上贅沢な暮らしはないのではないかと思っています。

 

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「メタ○○」という言葉がありますね。メタ言語とか、メタ認知とか。この「メタ」というのは、「あるものよりひとつ上」とか「高次元」とか「より広く深い」という意味だそうです。何かひとつのものを、もっと大きなものに内包させるというイメージでしょうか。

 

そう考えると、生活リズムというのは「メタ可能性」でもあると思います。まず、生活リズムが整っていることで日常的に小さな可能性はたくさんありますね。何か用事を済ませるにしてもだし、またどこかへ遊びに出かけるにしても、日中の時間の方ができることは確実に多いです。

 

大きな視点で、つまりメタ的に見れば、生活リズムが整うという事は「可能性の多い日常を得る」ということです。日常が積み重なったものが人生ですから、「可能性の多い人生を得る」と同義だと思えます。

 

ただし、世の中には様々な理由で生活リズムが整えられない人もいるわけです。また、「人生に可能性があるから有利」だという考え方自体、有限かもしれません。テクノロジーが今後も順調に発展していけば、人間自身の行動には、それほど可能性が無くなってくるかもしれません。

 

今後、表面的には可能性のみえない日常をどうやって満足して送るのかというのが、切実な課題になってくると感じます。すでにそのためのコンテンツもノウハウも、だいぶ整えられてきたなぁと思います。