口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

仕事の中で「砂金」を見つける。

(今年の2月に一度投稿したものです。たった半年ぐらい前の自分の記事なのに、改めて読み直すと恥ずかしいもんですね。一部修正しました)

 

 

★★★

 

ブログは楽しい。というか、文章を書くのは楽しいですね。ひと通り書き終えた後は、充実して、元気になっている自分がいる。ついどこかへ出かけたくなります。

 

外に出て、歩きながら思うのは、「仕事の理想ってこんな感じだよな」ということ。すなわち、やればやるほど充実して、元気が出る。自分の中の知識や知見が整理され、感覚がシャープになっていく。しかも、仕事の時間は自由であり、他人に煩わされない。仕事の後は、風景に対する感受性も開いて、何もかもが爽快に見える。

 

そんな、消耗とは無縁の仕事がしたい。余裕のある感性を保っていたい。今は、ブログを通して、そんな夢を見ているわけです。実際に文章を書くことが仕事になったとしたら、こういう感覚に至るには、相当な技術の精錬や、心の余裕がないと難しいと思えます。

 

それに、ブログが生活の中心になってはいけないと思います。ブログは続けるにしても、ブログに生きがいを託してはいけない。生きがいはあくまでも、現実的にどう生活したかで、実感するべきでしょう。ブログのネタのために生きてはいけない。ブログは寄り添うものであり、ブログに踊らされてはいけないと思います。

 

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散歩をしながらもうひとつ考えたこと。それは、仕事というのは「ちらほら」と楽しい所があるから続けられるのだろうな、ということ。全体的に見れば徒労のように思える仕事も、「ちらほら」と自分にとって楽しいこと、嬉しいこと、また自分の得意な分野で特に苦労もなくできるところとか、そういう部分があるからこそ、継続できるわけです。

 

イメージ的には、「砂金採り」でしょうか。器で川底の砂を掬うと、黒々とした砂利の中に、きらきらとした砂金が混じっている。これが嬉しいから、人は繰り返すことを厭わない。ただ、不平等な現実として、砂金の量というのは人によって違います。いくらやっても隣の人のように、きらきらとした砂金を見つけられないことがある。

 

「砂金」を見つけたかったら、どうしたらいいだろうか。方法はいろいろあります。もっと深く掘ってみる。器をもっとたくさん掬える大きいものに替える。場所を変えてやってみる。ちょっと休んでみて、それからやってみる。他の人が帰ってから、一人で黙々とやってみる、などなど。

 

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仕事をこなした対価として「給料」がもらえているのだから、仕事がつらくても当たり前だ、という方がいますね。仕事のつらさも、給料込みで払われているという理屈でしょう。ただ、仕事に向き合ったときに、その仕事の中にどの程度「砂金」が見えるかどうか、個人個人で違います。これは給料とはまた違った、仕事の中にあるささやかな「形のない報酬」です。これが払われていなければ、人は仕事を続けていけません。

 

この「形のない報酬」のむずかしい所は、与えようと思っても確実に与えられないことです。ひとりひとり「形のない報酬」は違うからです。上司や同僚の立場からして、それを補う、悪く言うと誤魔化すやり方としては、積極的に褒めてあげるとか、食べ物で釣るとか(笑)。あとは、仕事を楽しそうにこなしていれば、「砂金の掘り方」を見習うようになるかもしれない。

 

上でブログは楽しいと書きましたけど、全部が全部楽しいわけじゃないです。テーマで悩むし、文章がだんだんグダグダしてくるとと頭を抱える。あーだめだと、衝動的に全部消したらそのあとで、ああ、消さなきゃよかったと思うこともある。でも、やっぱり「ちらほら」楽しいんでしょうね。やりごたえを感じるんです。「砂金」がここにはあります。