口から出まかせ日記【表】

GWで浪費すると母の日にツケが回る。

溺れるがままの家族。

(今年の二月に投稿したものを加筆修正したものです。経験的に感じるのは、家事をやっていると一日の時間配分というものに敏感になります。朝のうちにアレをやっておこう、もうすぐ夕飯だからアレをやろうとか。家事はめんどくさいものですが、生活の骨格みたいなものでもあり、これが無くなってしまうと、私はかえって自由に生活できない気がします)

 

★★★

 

朝ごはんを食べた後、掃除をするのが日課になっています。まず掃除機をかけるのだけど、不思議だなと思うのは、毎日いつも同じところにホコリがたまっていること。昨日だってしっかりと掃除機をかけた後、雑巾で床の水拭きもしたのに、朝になればいつものごとく、ふわっふわのホコリがころころ転がっているわけです。

 

これはどこかにホコリの巣があるんだと思う。ベットの下とか、タンスの裏とか。ちょっとした空気の流れが、ホコリをそこに運び込むんだろうか。一度、徹底的にやらなきゃならないと思ってはいるけれど、なぜか体が動きません。

 

それでも、毎日の日課があるおかげで、生活の軸が崩れません。もしこれが、まるで家事を任されていなければ、だんだんと生活に怠惰が忍び寄り、時間は液状化して、その中で溺れてしまうでしょう。自分のやりたいことだけをやれる生活というのは、よほど自分のやりたいことを明確にし、それで毎日の生活の骨格を作り上げられる人でなければ、やがて崩壊するのだと思います。

 

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私自身は、そんなにやりたいことがいっぱいあるわけでもなく、明確でもないです。自分の好きなことだけをして暮らしなさいと言われて、そのまま放りだされたら、どんなに金銭的に豊かであっても、途方に暮れると思います。金があることで気が大きくなり、金を使うことが自分のやりたいことそのもののように一時的に錯覚しても、幻滅を覚えるのは早い気がします。

 

人は、大してやりたくないことをこなし、その対比として自分のやりたいことに気づくのが普通だと思います。母親から生まれた瞬間に「焼き肉が食いてぇ」とのたまう子供がいないように、ほとんどやりたくもないことで埋まりきっている現実を過ごすうちに、自分のやりたいことが、ふと、頭によぎるものなのです。

 

ところで私もニートなので、他のニートの方々が気になります。それで、色々とブログを拝見させてもらっているのですが、気になることがあります。

 

誰とは言いませんが、両親と共に実家で生活をしていながら、ほとんど家族と交流がなく、基本的に自分の部屋で一日中暮らしている人。ほとんど引きこもりのような感じです。家事はほぼ母親がやり、無職の当人は自分の好きな時間に寝起きしている。そして、日課があるようなないような、ゲル状になった生活を続けている。

 

家族のメンバーそれぞれの役割分担が固定されきってしまっているのです。普段は働いている父親も、休みともなれば無職の子供と同じような役割となる。部屋でごろつき、テレビをぼーっと見ている、みたいな感じ。

 

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簡単に言ってしまうと、こういった家庭は不毛です。生活の骨子としての日課は母親がこなし、それ以外の家族はそこからあぶれて、ひとりの世界にこもっている。家族間の役割が流動的であるなら、もう少し実りのある生活になるのになと思います。休みの日くらい、朝食を父親が作り、夕食を子供が作るとか。あと、普段から固定的なタスクを家族に振り分けてもいい。風呂洗いはあんたの仕事、洗濯はお前の仕事、みたいな。

 

と、ここまで書いておきながら、物事はそう単純ではないとも感じます。母親が家事を独占したり、父親や子供がゴロゴロ過ごしているその根本が、それぞれの個人的な不毛からきているからではないかとも思うからです。母親は家事以外にやりたいことがないので、家事を独占する。父親も子供も特にやりたいことがない。そして、最低限の生活の軸となり得る家事は、母親の手の中であり、その他の人は、有り余った時間の中で溺れるように時を過ごさざるを得ない。

 

機能不全家族とはよくいうけれど、虐待やネグレストが恒常的に行われている家庭を指すため、上記のような家族のことを言い表すことではないでしょう。ただ、家庭が機能していても、独特の不毛な雰囲気を醸し出す、退廃的な印象の家族というのも、ある意味「機能不全」といえるかもしれません。家族全員が時間から溺れて、どこかに流れていく途中のような感じで、なにか怖ろしい。