(今年の4月頃に一度投稿したものを、一部修正しました。あんまり関係ないですが、ボルダリングを一回ぐらいはやってみたいなと思っています……)
★★★
有名人の格言がわりと好きで、暇な時にネットや本で眺めていたりするのですが、「壁」に関する格言が多い気がします。人生における重大な場面において、自分の目の前にある課題を「壁」と認識し、それをどうやって乗り越えるかということについて、多くの人物が思索をしているわけです。
でも、昔から思うのですが、なぜ「壁」なのでしょう。もちろん、私みたいな一般人と、世界レベルの偉人とでは、課題のスケールが違うのは当然。とはいえ、みんな揃って「壁」という表現を使うのは気になっています。
「壁」以外に表現の仕方はないのだろうか。「壁」という表現をすることで、目の前の課題がすべて、壁のように立ちはだかるように錯覚してしまう気がする。課題の本質を、その実態よりもオーバーに感じさせやすい表現だと思っています。
じゃあ、お前は壁もないような平べったい人生を歩んできたのかと言われたらと困りますが、私なりに、山あり谷ありだったと感じる。そう、山とか谷とか、自然の言葉で表現する方がしっくりくるのです。歩けないところを歩いては来なかったはずだと思います。
「壁」というより、「崖」ならあったと思います。一見、「うわ、だる」と言いたくなるけれど、よーく見ると岸壁に手をかけられるところがあるから、そこを慎重にあがれば大丈夫だった、とか。いま思えば別に他の道はいくらでもあるのだけど、その時はそこを登るしかないと覚悟をしていたようです。
他には、だだっ広い川に一本だけ丸太の橋が架かっていたりとか、だらだらしていると足を取られる湿地帯とか、前が見えないほどの笹薮とか、思い出すとバリエーションに満ちています。「壁」なんて単純な物体はなかったように思います。
状況は多種多様です。眺めが悪くて、他の場所が一体どうなっているのかよく分からないことも多い。でも、速度はどうあれとりあえず前には進んでみたり、前に進みたくなくて止まっていたら、めんどくさいことになったり。戻ろうと思っても、地形が変わっていて戻れないという事があって、仕方なく前に出ていったということもありました。
そして時おり、眺めのいい休憩地点のような場所に出て、ぼーっとする。その繰り返しでした。若い頃に比べるとだいぶ楽になってきた気がします。道が良くなったのか自分が強くなったのかよく分かりません。楽だというのは錯覚で、この先は地獄のような道かもしれません。
思えば、ずっと山の中で生活してきたような気がもするのです。そろそろ海に行きたい。海に出るにはどうしたらいいか、いま考えているところです。海なら前も後ろもない、見渡せるかぎりどこへ行ってもいい。静かに憧れながら、今はぼーっと生きています。
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