口から出まかせ日記【表】

こんな寒かったっけ冬

モテたい相手は人間だけじゃない。

 

テたいですか(直球)。一般的にモテるというと、人にモテることを意味します。特に異性にモテるというのは、人間としての基本的な承認を得る儀式に参加するみたいなところがあり、モテるかモテないか、それによる残酷なドラマが、遥かに古い時代からひたすら再生産されている感じがします。


私事ですが、一応、これまでの人生で告白されたことが何回かあります。が、異性より同性に告白された回数が多い。このバランスはいったいなんなのか、今だによく分かりません。ちなみに自分から異性に告白した回数が3回です。いずれも玉砕でした。


ところで、ここ数年ぐらいのうちに、「モテる」という言葉の感覚が私の中でちょっと変わりました。もっと広い領域で使うべきじゃないかと考えるようになったのです。自分を取り巻く世界や、環境からもまた、モテたりモテなかったりするんじゃないかと。これはその時期の「運勢」などとと重なる要素だと思いますが。


同じ場所に住んでいても、良い時と悪い時がありますね。なんとなくいい話が舞い込んできたり、友人関係も良かったりするときがある。と思えば、何もかもが悪い時期もある。自分は別に大したことをしていないのに、どういうわけか一方的に様相が変わったりします。恋愛でもそうですが、モテるって一方的な所があります。自分は特に変わらないけど、なぜかモテ期(死語?)が来るみたいな。環境も同じだと思います。因果が不明なまま、一方的な変化を、ただ受動的に受け取るしかない時期もあるような。

 

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同時に、モテるというのは相手からモテるからモテるわけで、その「モテさせる相手」に自分がなることもできます(日本語ムズカシイ)。要は告白ですね。あなたが好きです。そうはっきり宣言する行為。これは、けっこう苦しい時や辛い時でも表明できるものだと思います。というか、寧ろそれが命綱になったりするような。この、「モテさせる」行為も、対象は人間に限らなくていいのではと思います。


例えば、そのへんの温泉とかでもいいし、近くの公園とか、行きつけバーでもいい。別に自分の部屋の布団の中でもいい。つまり、自分が「確実に好き」なものは、周囲の環境がどんな状態であっても、確保した方がいいと思います。そこにアクセスできる余裕は、もちろん作るべきです。時間の余裕なり、気持ちの余裕なり。デートもそうですよね。忙しくてもお互いになんとか逢う時間を作るもんです。それを人間以外に対しても作る感覚を忘れないことが大切じゃないかと。


あ、そういや最近、海に行く機会がありまして、30代のおっさんが波打ち際で一人はしゃいでおりました(笑)。足元がぐっしゃぐしゃの砂まみれになり、おかげさまで、行きたかったお寿司屋さんにはちょっと恥ずかしくて入れませんでした。自然はいいものですね。いくらベタベタしてもOKですが、そうすると人間の世界には戻りにくくなるのです。日帰りの旅行でしたが、真理を垣間見ました。