人気があるものを観にいく気力が湧きません。

 

ン・エヴァンゲリヲンが公開された直後、はてなブログのトップページがエヴァ関係の記事ばかりになってましたが、ようやく落ち着いた感じですね。いくつかその中の記事を読みました。ネタバレも多少ありましたので、なるほど、そういうことかと。なにがそういうことかは知らんけど(笑)。ただ、何となくテーマというか狙いのようなものを察してしまった感じがして、もういいかなぁと。映画は別に観に行かなくていいかもです。数年後に金曜ロードショーかなんかで観ればそれで満足できそうです。


誰かから殺されそうな勢いで誘われれば行くかもしれませんが、自分ひとりでは観に行かないでしょう。エヴァ自体に興味が無いのかというと、そんなことはなくて、中学生の頃にテレビシリーズ全巻と旧劇場版を観て、かなりトラウマというか衝撃を受け、何かあればエヴァと比べるみたいな。エヴァと比べてこれは面白いかどうかみたいに、しばらく価値観の物差し代わりになってました。


友達は、綾波だアスカだミサトさんだと喚いてましたが、いやいや、俺はシンジ君が一番好きだよ。シンジ君推すでしょ普通。シンジ君がヒロインで、主人公はゲンドウと冬月。他の連中はかませというか生贄だよ。人類補完計画のな。なんでお前らはそれが分かんねんだ。バーカ。コナンと一緒にパラパラでも踊ってろなどと罵倒した結果、相手のATフィールドを突破して疎遠になりました。(意味が分からない人は今回の記事はスルーして頂いてけっこうです)


それから年月が経ち、ヱヴァの新劇場版が公開されたときは、周りも自分もかなり盛り上がりまして、友達からも観に行こうぜと誘われましたが、結局断りました。なんかこう、腰が重かったんですよね。エヴァに限らず、ジブリの映画とか、割と最近だと鬼滅の刃の劇場版もそうですが、話題性があってみんなが観ているのが分かりきっているものに、どうも飛びつけないというか。みんなが観てるなら自分はいいかぁと思ってしまって、ことごとく後回しになってしまいます。

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映画だけじゃなく、某ネズミ園で新しいアトラクションができたとか、めっさ高いタワーが建ったとか、そういう場所に行って実際に体感するのは数年後か、そもそも行かなかったりします。寧ろ、話題をさらったのが半世紀前で、今やすっかり寂れているような場所には平気で、というか割と積極的に出かけていきます。そっちの方が気楽なんですよね。話題をかっさらってるから観に行くとなると、ある種のプレッシャーに背中を押されて観に行かされてるような、やらされてる感を感じてしまって、自分はどうも駄目ですね。多分これからずっとそんな感じじゃないかなぁと思います。


最新のドラマとか映画とかファッションとかグルメスポットについて楽しそうに書いてあるブログを読むと、この人は元気だなぁ。気力があるなぁなんて思います。いや、気力があるとか無いとかの話じゃないかもしれない。気力の種類とか、発生の仕方が違うのかもしれないですね。最新のデートスポットを彼氏と嬉々として歩く気力があれば、とっくの昔に廃業して蔓草が壁を這う建物を眺めて悦に浸る気力もある(笑)。そんな気力発生の個人差を差別的に表現すると、陽キャや陰キャといった言葉になるんでしょうか。


それはともかく、気力の無い人はいませんから、どういうものに気力が湧くかというのは、個人々々でなんとなく目星を付けておくのは大事だと思っています。私の場合、話題性はそこまで気力の源泉にならない、と思ったんですが、あ、そうでもないぞ(笑)。人気のゲームとか書籍には割と飛びつきます。アマゾンで発売日に予約済みだったりする。ひとりでじっくり自由に楽しめるものには気力が湧くんでしょうか。他人の意向で時間が確実に犠牲になるものに対し、神経質なところがあるのかもしれない。


うーむ。なんだか文章がとっ散らかってるんで、そろそろ終わりにしますが、結局、気力の性質が個人でそれぞれ違うんだというのを認めて、「あなたはそういう気力をお持ちの方なんですね」なんて、尊重できればいいですよね。性格の差異ではなく、そもそも気力の出所がそれぞれ違うんだということで納得できるようになれないものかと。ヱヴァの人類補完計画は個人差を許容できないファシズムに近いものですが、真の人類補完計画は、差異は当然あるものとして、それで相手を値踏みしたり、差別をしないで許容できる意識が行き渡った世界ではないかと思います。

 


Beware of A Cruel Angel's Thesis (Death Grips x Evangelion)

おめでとさん。あ、おおきに。